茶の湯の世界に入って、それなりの時間が経つ。日々教育研究とその他煩雑な作業に追われていると、時に現実を見失いそうになるときがある。
そうした時、茶の湯の世界は私の心と体をまさに浄化してくれる。いつもお稽古のあとはすがすがしく、さわやかな気持ちでいっぱいだ。
茶の湯の世界では、しばしば「清める」という表現を使う。茶碗を清める、茶灼を清める、建水を清める。また、四方さばきで袱紗をさばくということは、東西南北を清めるという意味もある。
単に汚れやほこりをとるということであれば、「洗う」や「拭く」などの表現でよいであろう。そこをあえて「清める」というところに、茶の湯の世界における精神誠意、客人をもてなすという心づかいや道具を大切にしようとする姿勢が表されているように感じる。さらに、ケガレを取り払うという日本古来の神仏信仰の一端も投影されているようだ。
この「清める」は、英語ではpurifyが近いように思う。cleanはそれこそ単に「洗う」や「きれいにする」という意味であろう。物理的な汚れだけではなく、精神的な汚れ(ケガレ)などもきれいさっぱりするという含みであれば、やはりpurifyが日本の伝統文化である茶の湯のこころを映し出しているように思う。
ただ、こうした日本文化の深層を瞬時に理解することは決して容易なことではない。茶の湯の世界を英語で説明する場合、必要に応じて平易明快なcleanを用いてもよいであろう。