2013年5月20日月曜日

茶の湯のことば―稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一


■以前にも取り上げたが、千利休の教え[茶の心得]である利休百首におさめられているものに

稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一

というのがある。これは、日々精進を重ね、一から十まで習ったとしても、またはじめての一に立ち返ることで、習得したことに磨きをかけたり、見落としていた箇所をあらたに見つけたりすることができるという教えである。つまり、一度さらっとお稽古をしただけで満足するのではなく、何度も復習することで体得していくことが大切であるということである。
 筆者は、まだまだお稽古を積む必要はあるが、初級(時に中級)レベルであれば、指導をすることがある。しかしながら、筆者程度のレベルであれば、こうした指導も(筆者にとっての)お稽古の一環となる。つまり、客観的に学生の所作に指導をいれることで、その際に頭が整理され、1つ1つの所作に対するより深みのある理解ができるようになるのだ。まさにこれも「・・十よりかへるもとのその一」の部分にあたろう。当たり前のようになってきている基礎的な所作も、必死に取り組んでいる学生に対して適切に指導することで、筆者自身も当時に立ち返り、指先のながれ、肘の角度、その流れの意味などをあらためて知るようになるのだ。
 こうした一面は、教育や研究の世界でも同じことが言える。筆者のようにその世界でそれなりの年月を重ねると、(否定的なニュアンスとしての)「慣れ」が生じてしまう。その「慣れ」は、確かに精神的な負担を解放してくれることはある。それでも、最小限の肝だけをおさえたものになりがちである。今年度から本務校で10年近く担当してきた科目を変更した。これもこうした理由からである。実際、その科目であれば、どこがポイントなのかはほぼ頭に入っており、テキストなしでも講義は可能である。一貫したポイントをおさえた教授法と言えなくもないが、見方をかえれば、マンネリ化した、単調な内容ということになる。気をつけないと単なる担当者の自己満足だけになってしまう恐れがある。それを懸念して、今年度からはこれまで担当したことのない科目を引き受けることにした。これも、十分授業内容を把握したので(十を知り)、新規科目に取り組む(もとのその一)ということである。科目名こそ違うが、英語教育、という括りにおいては同じである。
 あと何年、茶の湯と英語教育の「道」を歩み続けるかは分からないが、元気であるうちはこの教えを心に刻みながら、慢心することなく常に一[初心]に立ち返ることを忘れないようにしようと思う。■


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