■これまでも触れてきたように、茶道の世界では、茶道具に銘をあてることがある(道具、特に由緒ある道具には銘が付いているものがある)。この季節の銘の1つとしては、「東風(こち」が挙げられる。「東風」と言えば、「東風(こち)吹かば匂(にほ)ひおこせよ梅の花主(あるじ)なしとて春を忘るな」(拾遺和歌集雑春・菅原道真)が思い浮かぶであろう。学研全訳古語辞典によると、「春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の大宰府(だざいふ)へ香りを送ってくれ、梅の花よ。主人のこの私がいないからといって、咲く春を忘れるな。」ということになる。つまり、菅原道真が大宰府に左遷された際に、愛でていた梅の木にむかって別れを告げた歌である。
それでは、なぜ「東風」を「こち」と読むのであろう。この語をとりあげているサイトがいくつかあり、語源には諸説あるそうだ。そこで、筆者なりに考えた結果、2月に吹く東からの風は、春の訪れを気づかせる比較的やわらかい風であることが多いところから、「小[こ」さい風」を意味する「こち」となった、のではなかろうか。しかしながら、この考えを積極的に主張できない点として、瀬戸内海(現在の豊後水道含む)周辺の漁師が用いた風に関する表現に由来するというものがある。例えば、
「・・・東風を「こち」と呼ぶその語源は瀬戸内海の漁師言葉だとする説があります。瀬戸内には、「鰆(さわら)ごち」「雲雀(へばる)ごち」「梅ごち」「桜
ごち」「こち時化(しけ)」といった「コチ」を含む言葉があるそうです。・・」(http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlko/200803170.htm)がある。つまり、漁の生活の中では、東から吹く風は必ずしもやわらかいわけではなく、むしろ荒れている海を連想させることになる。歌にでてくるようなやさしい雰囲気はない。
もっとも、歌の世界の方が漁よりも一般的に馴染む、という立場をとれば、先の「小[こ]さい風」を意味する「こち」を支持できるであろう。言葉は本当に興味深い。■