思考の可視化として“書きだす”ということは、(大げさに聞こえるかもしれないが)生命維持のために必要な行為[活動]であると言える。それは、まさに<ヒト>の「代謝」のようである。「代謝」とは、国語辞書的には、「1.古いものと新しいものが変わること;2.生体内で物質が次々と化学的に変化し、入れ替わること。また、それに伴ってエネルギーが出入りすること」ということになる。つまり、日々の営みの中で、新しい情報を得て、それらが脳内で消化、化学変化を経て、ある情報はエネルギーとなり、言葉や行動となって、<ヒト>の社会活動の構成要素となる。また不必要なものとして消化されない情報もある。そうした不必要な情報は、人体の分泌や排泄のように、脳外に出されるべきである。さもなければ、そうした不必要な情報は堆積し、日々絶え間なく得られる情報の整理、管理といった脳の代謝の大きな障害となってしまうものと考えられる。そして、そうした障害が脳のストレスとなる危険性をはらんでいるとするならば、上述した「“書きだす”ということは生命維持のために必要な行為[活動]である」ということも、見当はずれなことではないであろう。
一般に、健康維持のために新陳代謝を高める必要があると言われる。同様に、健全な思考のためにも、脳の代謝としての“書きだす”という行為を積極的に実践していこうと思う。