最近の朝のニュースでは、必ずと言っていいほどさまざまな政治家が画面に登場し、自論なのか、原稿を読んでいるだけなのかは分からないが、もっともらしい発言をしている姿を見かける。
新政権は、かつての野党であったころの勢いは弱まり、受け身にまわっているように映る。あれほどまでに旧政権に立ち向かっていたころの凛とした政治姿勢は影をうすめている。
もし、いまの弱腰な対策が続くようであれば、かつての(マニフェストを掲げた)演説などは、「虚勢」を張っていたとしか言いようがなくなる。
一般に英語で「虚勢」とはbluffという。オランダ語の「自慢する、誇りに思う、(ほらをふく)」あたりから発展してきた語のようだ。また、ポーカーで、弱いカードでも、強いカードがそろっているようにふるまうこともbluffという(poker-faceはしばしば無表情であることを指す)。さらに、特にイギリス英語のようだが、形容詞のbluffには「(必ずしもネガティブではなく)ぶっきらぼうな、率直な」という意味もある。ただ、通例は「はったりをかます、(実力もないのに)えらそうにする」のニュアンスが強いようだ。
身近にもalways bluffingな人を見かけるが、おそらく自分のこれまでの、そして現在に自信がないのであろう。ただ、安っぽいprideだけはあるようだ。それが、bluffingな姿勢にでてしまうのであろう。
教育研究の世界にいると、常に業績をもとめられ、それが自己の社会的評価にもつながる。 つまり、業績を積むこと、教育研究に精進すること、それがこの道を選んだものの社会的責任というものではなかろうか。
当然のことながら、数々の業績をお持ちの学者と呼ばれる方々は、人物的にもすばらしい。やはり、業績を積んでこられた実績が“真の自信”となり、その人の発言の重みや、信頼性、人間性を高めてくれているに違いない。逆にいえば、業績のない人は、自信ではなく、思い込みが醸成され、発言の軽薄さを補うためにbluffingな態度に依存せざるをえなくなるのだ。
上記のalways bluffingな人も、業績はいっこうにあがらないが、年齢だけは自然と上がっていく、そうした自分にどこかもどかしい思いをしているのであろう。そして、そのもどかしさからの解放のために、“率先して”~長と付けてもらえるような、組織構造の中でのより“高い”ところに行きたがるのだ。先の学者と呼ばれる方々は、“率先して”~長のような役職にはつこうとしない。なぜなら、煩雑な会議などに忙殺され、研究時間が割かれるからである。
おそらく、周囲に対するbluffingな姿勢は、決して望ましいことではないが、その人の心の(負の)カタチなのかもしれない。
2010年1月27日水曜日
2010年1月25日月曜日
drive-thru
日頃お世話になっている研究者の方とたまたまドライブスルーの話題がでたので、取り上げてみた。
一般にアメリカのファーストフード(McDonald'sやTaco Bell等)では、幹線道路沿いにドライブスルーを設置していることがある。
まず、一旦メニュー一覧のあるmenu boardで停車し、その手前にあるspeaker box[post]にむかって、注文をする。店内では、通例ワイヤレスのmicrophoneをつけたスタッフが注文を受ける。
注文品と金額を確認したら、そのまま車を進め、注文品を受けとり、支払いをするpick-up windowまで行く。
これで車から降りることなく、まさにdriveしながら注文品を受け取りthroughすることができる。
自分の経験では、上記のファーストフードのほか、bankingと呼ばれる銀行手続きをdrive-thruでしたことがある。当時はエアシューターで紙幣のやり取りをした記憶がある。(防犯上、直接手が触れるようにはなっていなかった)
そのほか、コンビニや簡単な郵便手続きが可能なdrive-thruや、結婚の手続きが行えるdrive-thru chapel、葬儀(会葬者は車から安置されている遺体と対面するらしい)までもが行えるdrive-thru funeralなど、日本では想像もつかないようなdrive-thruが存在する。これも、車社会のお国柄であろう。
なお、drive-throughと表記することもあるが、一般にはdrive-thruを多く見かける。
一般にアメリカのファーストフード(McDonald'sやTaco Bell等)では、幹線道路沿いにドライブスルーを設置していることがある。
まず、一旦メニュー一覧のあるmenu boardで停車し、その手前にあるspeaker box[post]にむかって、注文をする。店内では、通例ワイヤレスのmicrophoneをつけたスタッフが注文を受ける。
注文品と金額を確認したら、そのまま車を進め、注文品を受けとり、支払いをするpick-up windowまで行く。
これで車から降りることなく、まさにdriveしながら注文品を受け取りthroughすることができる。
自分の経験では、上記のファーストフードのほか、bankingと呼ばれる銀行手続きをdrive-thruでしたことがある。当時はエアシューターで紙幣のやり取りをした記憶がある。(防犯上、直接手が触れるようにはなっていなかった)
そのほか、コンビニや簡単な郵便手続きが可能なdrive-thruや、結婚の手続きが行えるdrive-thru chapel、葬儀(会葬者は車から安置されている遺体と対面するらしい)までもが行えるdrive-thru funeralなど、日本では想像もつかないようなdrive-thruが存在する。これも、車社会のお国柄であろう。
なお、drive-throughと表記することもあるが、一般にはdrive-thruを多く見かける。
2010年1月24日日曜日
nervous habit
子供の頃、足を揺らしたり、指をコツコツ机などに叩いたりしている子がいたことを覚えている。日本では、そうしたことを「貧乏ゆすり」と呼んで注意したものだ。これには、昔落ち着きがなく足などを揺らしている様子が、経済的に困窮している人の落ち着きのない様子と重なり合ったからだという説がある。
現代社会では、「貧乏」という経済的困窮者がその「貧乏ゆすり」をするとは限らない。むしろ、一般の方で、単に落ち着きのない方に多いように感じる。特に視野の狭い、バタバタした性格の人はこうした動作を無意識にひと前でも“うっかり”してしまうようだ。
英語で、「貧乏ゆすり」の「貧乏」を意味する表現は用いないので、直訳してもネイティブには通じないであろう。おそらく、"nervous habit"がそれに近い表現になる。つまり、「緊張した、落ち着きのない、びくびくした様子を表す癖」ということなのであろう。具体的には、足を揺らすjiggling foot(特に足を組んでつま先をパタつかせるような動き)、足[ひざ]を上下に動かし、かかとをコツコツさせるtapping foot、指で机をコツコツ叩くtapping finger(s)、爪をかむbiting nail(s)/nail-biting、(比較的女子に多い)髪の毛を指でくるくるさせるtwirling hair (with[around] finger(s))などがある。
そうした癖のある人のことをそれぞれa foot-jiggler、a foot-tapper、a finger-tapper、a nail-biter、a hair-twirlerと呼ぶこともある。
おそらくこうした癖は育った過去や現在の生活環境に左右されているのかもしれない。
私の周りにもa foot-and-finger(s) tapperという“ダブル”の"tapper"がいる。会議中、若者音楽の“ラップ”のように、見事なまでの"tap"を奏でることがしばしばある。もうそこまでいくと、不快というより・・・。
現代社会では、「貧乏」という経済的困窮者がその「貧乏ゆすり」をするとは限らない。むしろ、一般の方で、単に落ち着きのない方に多いように感じる。特に視野の狭い、バタバタした性格の人はこうした動作を無意識にひと前でも“うっかり”してしまうようだ。
英語で、「貧乏ゆすり」の「貧乏」を意味する表現は用いないので、直訳してもネイティブには通じないであろう。おそらく、"nervous habit"がそれに近い表現になる。つまり、「緊張した、落ち着きのない、びくびくした様子を表す癖」ということなのであろう。具体的には、足を揺らすjiggling foot(特に足を組んでつま先をパタつかせるような動き)、足[ひざ]を上下に動かし、かかとをコツコツさせるtapping foot、指で机をコツコツ叩くtapping finger(s)、爪をかむbiting nail(s)/nail-biting、(比較的女子に多い)髪の毛を指でくるくるさせるtwirling hair (with[around] finger(s))などがある。
そうした癖のある人のことをそれぞれa foot-jiggler、a foot-tapper、a finger-tapper、a nail-biter、a hair-twirlerと呼ぶこともある。
おそらくこうした癖は育った過去や現在の生活環境に左右されているのかもしれない。
私の周りにもa foot-and-finger(s) tapperという“ダブル”の"tapper"がいる。会議中、若者音楽の“ラップ”のように、見事なまでの"tap"を奏でることがしばしばある。もうそこまでいくと、不快というより・・・。
2010年1月22日金曜日
instant coffee
私にとってコーヒーは、緑茶同様、日々の生活に欠かせないものとなっている。
基本的にはドリップしたてのコーヒーや抽出したてのエスプレッソを飲みたいところではあるが、時間的制約のある朝(自らの行動が制約をつくってしまっている要因ではあるが・・・)などはいわゆる“インスタントコーヒー”を飲むことが多くなってきた。
すでにお気づきの人も多いだろうが、インスタントコーヒーには主に2つのタイプがある。1つは、粉末状のもので、もう1つは顆粒状のものである。一般に、粉末状のものは、抽出したコーヒーの液体を圧力で噴射させ、急速に乾燥させたものであり、顆粒状のものは、マイナス40℃以下で凍結させてから砕いたものを乾燥させたものである。
英語でinstant coffeeと表記されるが、経験上instant coffeeを飲んでいる英米語圏の人を見かけることは少ない。そこは、"cafe culture"ともいうべきお国柄なのかもしれない。実際、アメリカでは、コンビニなどいたるところでドリップされたコーヒーをいただくことができる。
なお、上記の粉末状のinstant coffeeは、その製造工程からも分かるように、spray-dried instant coffeeと言い、粒の大きい顆粒状のものはfreeze-dried instant coffeeと呼ばれている。
基本的にはドリップしたてのコーヒーや抽出したてのエスプレッソを飲みたいところではあるが、時間的制約のある朝(自らの行動が制約をつくってしまっている要因ではあるが・・・)などはいわゆる“インスタントコーヒー”を飲むことが多くなってきた。
すでにお気づきの人も多いだろうが、インスタントコーヒーには主に2つのタイプがある。1つは、粉末状のもので、もう1つは顆粒状のものである。一般に、粉末状のものは、抽出したコーヒーの液体を圧力で噴射させ、急速に乾燥させたものであり、顆粒状のものは、マイナス40℃以下で凍結させてから砕いたものを乾燥させたものである。
英語でinstant coffeeと表記されるが、経験上instant coffeeを飲んでいる英米語圏の人を見かけることは少ない。そこは、"cafe culture"ともいうべきお国柄なのかもしれない。実際、アメリカでは、コンビニなどいたるところでドリップされたコーヒーをいただくことができる。
なお、上記の粉末状のinstant coffeeは、その製造工程からも分かるように、spray-dried instant coffeeと言い、粒の大きい顆粒状のものはfreeze-dried instant coffeeと呼ばれている。
2009年12月9日水曜日
purify or just clean?

茶の湯の世界に入って、それなりの時間が経つ。日々教育研究とその他煩雑な作業に追われていると、時に現実を見失いそうになるときがある。
そうした時、茶の湯の世界は私の心と体をまさに浄化してくれる。いつもお稽古のあとはすがすがしく、さわやかな気持ちでいっぱいだ。
茶の湯の世界では、しばしば「清める」という表現を使う。茶碗を清める、茶灼を清める、建水を清める。また、四方さばきで袱紗をさばくということは、東西南北を清めるという意味もある。
単に汚れやほこりをとるということであれば、「洗う」や「拭く」などの表現でよいであろう。そこをあえて「清める」というところに、茶の湯の世界における精神誠意、客人をもてなすという心づかいや道具を大切にしようとする姿勢が表されているように感じる。さらに、ケガレを取り払うという日本古来の神仏信仰の一端も投影されているようだ。
この「清める」は、英語ではpurifyが近いように思う。cleanはそれこそ単に「洗う」や「きれいにする」という意味であろう。物理的な汚れだけではなく、精神的な汚れ(ケガレ)などもきれいさっぱりするという含みであれば、やはりpurifyが日本の伝統文化である茶の湯のこころを映し出しているように思う。
ただ、こうした日本文化の深層を瞬時に理解することは決して容易なことではない。茶の湯の世界を英語で説明する場合、必要に応じて平易明快なcleanを用いてもよいであろう。
Happy Holidays

先日アメリカ留学時代にお世話になった大学から、alumni(卒業生)あての"Happy Holidays"のオンラインカードが届いた。
IT技術の発達により、カードも動きや音声のあるものになっている。
アメリカでは、この時期になるとChristmasとNew Year'sを兼ねたHappy Holidaysカードを贈る習慣がある。もちろん、それぞれ別々に送る方もおられるようだが、こちらの方が一般的のような印象をもっている。
そもそもアメリカの"Holiday Season"とは、どのあたりをさすのだろうか。通例毎年11月の第4木曜日(カナダは10月の第2月曜日)におこなわれるThanksgiving(感謝祭)の翌日に、これはあくまでも慣例的になっているだけなのだが、ほとんどの家族が近くのshopping mallなどに、Christmas gift用の買い物にでかけるのだ。その熱気から"Christmas shopping spree"(spreeとは「浮かれ騒ぐ」という意)とまで言われるくらいである。実際、デパートなどの販売では、Thanksgivingの翌日が1年で最も忙しい日である。
そのころから新年にかけて、街はさまざまな飾り付けや、ライトアップなどで、美しくも、かわいらしくもある景色となるのだ。アメリカでは、Christmasが最も重要な祝日という位置づけである。日本的な正月[元旦]とは違い、New Year's dayは案外あっさりとしたものである。
こうした点から、"Holiday Season"とは、Thanksgivingから、Christmasを中心として、New Year's dayまでといったところであろう。
やっぱし(?)
先日事業仕分け関連のニュースを見ていると、コメンテータらしき人物が「やっぱし・・・」を多用していたのが気になった。特に「やっぱ“し”」である。日本語的には、「やはり」→「やっぱり」→「やっぱし」らしく、方言として分類されているようだ。ただ、公共性の高いテレビ番組での表現としては視聴者としてはあまり心地よいものではなかった。
会議などの席でも「やっぱし」を“連呼”する者がいるが、どうも稚拙な響きを感じる。最近の若者の言葉遣いを懸念する声がよく聞かれるが、大人もTPOにあった言葉遣いを心掛けたいものだ。
ちなみに、「依然として、それでも」の意であれば、stillが、「結局のところ」の意であれば、after allなどが「やはり」の英語表現となるであろう。「やはり」には場面に応じていくつかの英語表現があるので、工夫したい。
会議などの席でも「やっぱし」を“連呼”する者がいるが、どうも稚拙な響きを感じる。最近の若者の言葉遣いを懸念する声がよく聞かれるが、大人もTPOにあった言葉遣いを心掛けたいものだ。
ちなみに、「依然として、それでも」の意であれば、stillが、「結局のところ」の意であれば、after allなどが「やはり」の英語表現となるであろう。「やはり」には場面に応じていくつかの英語表現があるので、工夫したい。
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【お知らせ】研究ブログを移動しました!
本研究ブログの容量がいっぱになりましたので、新研究ブログを立ち上げました。 心機一転、研究ブログを再開したいと思います。引き続きどうぞよろしくお願いします。 新研究ブログは こちら
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■茶会における主たる[最上位の]客のことを「正客」(しょうきゃく)と言い、その連れの客(正客と一緒にもてなし受ける客)のことを「相伴」(しょうばん)と呼び、正客の相手をつとめ、同様にもてなしを受ける、という意味としても用いる。 お茶席では、まず正客に(濃茶であれ、薄茶であれ...
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■以前にも取り上げたが、千利休の教え[茶の心得]である利休百首におさめられているものに 「 稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一 」 というのがある。これは、日々精進を重ね、一から十まで習ったとしても、またはじめての一に立ち返ることで、習得したことに...
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■今日もさわやかな秋晴れが広がっている。とても気持ちがよいものである。この季節、茶の湯の世界では、「祥風」という銘をあてることがある。「祥」にはよころばしい(こと)、よろこばしいことの前ぶれ[兆し]、という意味がある。つまり、「祥風」とは、「よろこばしい(ことの)風」もしくは「...