2020年5月30日土曜日

コロナ禍の対日評価(4)

引き続き、日本のコロナ対策に対する不可思議な目が向けられている記事を紹介したい。

Some have said there are other cultural factors at play. An Asia Times report described Japan as less of "a touchy-feely nation" than places like the United States, with more of a focus on cleanliness. It also has a dedicated public-health system.
[Business Insider  May 28, 2020]

日本のコロナ対策の秘訣として、マスク文化、早期の学校休校措置、日本語の発話特性としての飛沫の少なさ等に触れた流れで、日本がアメリカのように(体を)触れあう文化ではなく、それが公衆衛生面に影響しているという興味深い指摘がある。

Japan didn't enforce shutdowns or social-distancing orders, but it encouraged people to avoid closed spaces with poor ventilation, crowded places with groups of people, and close-contact settings like one-on-one conversations.
The method, which leaves decisions about where to go and what kind of risks to take up to individuals, is designed to help minimize the spread of the virus while allowing life to continue, albeit with limits.

また、もう当たり前のように我々が実践している、3密を避けるということがウィルス感染拡大防止に効果を示し、日常を継続することを可能にしていると評価している。
特に3密対策の実践は、sustainableなアプローチとして好意的に受け止められている印象だ。筆者も継続して実践していきたいと思う。

2020年5月28日木曜日

コロナ禍の対日評価(3)

 日本のコロナ対策は、不可思議に捉えられているものの、一定の評価は得られている印象だ。今度は、緊急事態宣言の解除をうけて、アメリカの有力紙ワシントンポストが関連記事を掲載している。

On Monday, Japan lifted the state of emergency over the greater Tokyo area, effectively ending the country’s soft lockdown. New infections have slowed to a trickle and hospital beds have been freed up. There is, finally, light at the end of the tunnel.
Now Japan is getting ready for what it’s calling a “new lifestyle,” an idiosyncratic attempt to restart daily life without provoking another increase in infections.
[Washington Post  May 25, 2020] ※以下、同じ

 今週月曜の東京をはじめとする首都圏の緊急事態宣言解除をうけての内容である。まず、厳密な法的制裁もなく、あくまで要請にとどまっていた飲食店等の休業措置や人々の外出自粛などはsoft lockdownと評されている。そのおかげもあり、トンネルの先に光が見えはじめている、つまり、ある意味感染爆発や急激な感染ピークは乗り越えたのでは、という指摘であろう。その一方で、政府が提言する「新しい生活様式」については、an idiosyncratic attemptとして、(欧米とは)特異で独特な試みがなされようとしていると報じている。

It is a uniquely Japanese approach to containing the virus based on request, consensus and social pressure rather than government edicts and legal sanctions, but it’s one that has had some success despite initial blunders and botched communication from Prime Minister Shinzo Abe.

さらに、"uniquely Japanese approach"として、日本特有の(特異な)対策であるとしている。その中で、あくまでも要請であり、consensus and social pressure(国民の(統一された)意識や社会的な圧力[世間の目])が(欧米流の)法的強制力よりも効果的であったという評価と言える。

But there were unheralded successes, too. Universal health care allowed Japan to detect cases early, even in remote rural areas, at a time when the virus appears to have been spreading undetected in Europe and the United States.

メディア等ではそれほど取り上げられていないが、日本の国民皆保険制度も、日本の新型ウィルス対応の成果にひと役買っていた点に注目している。特に欧米で((高額医療費等の問題があり)検査による確認がされないままに)感染が拡大しつつあるころにおいて、すでに日本ではある程度初期対応がなされていたのではないかという指摘である。

The messaging began to improve, drilled home by regional governors, who have played a leading role in the virus response, while the deaths of popular comedian Ken Shimura and actress Kumiko Okae woke the public to the dangers of the virus.

いわゆる3密を避け、手洗い、消毒、うがい等が各都道府県知事の音頭により実践されたことも効果があったという指摘である。その一方で、志村けんさんや岡江久美子さんの訃報も、国民の新型ウィルスに対する意識に影響を与えたとしている。

 さて、なんとか(目に見える)感染拡大や(政府が当初からねらいとしていた)医療崩壊は回避できたと評価してよいであろう。これから来るであろう第2波にむけて、日本の実力が試されるときである。


2020年5月27日水曜日

コロナ禍の対日評価(2)

 緊急事態宣言の解除を受け、その際の安倍首相の会見内容の影響もあるだろうが、日本政府のコロナ対策に関する評価のコメントがここ数日よく聞かれるようになった。特に海外からの評価を紹介するメディアの中で、以下の記事が興味深いと感じた。なお、以下は原文に解説的な部分意訳を付したものである。

1
In its battle with the coronavirus, Japan appears to be doing everything wrong. It has tested just 0.185 percent of its population, its social distancing has been halfhearted, and a majority of Japanese are critical of the government’s response. Yet with among the lowest death rates in the world, a medical system that has avoided an overloading crisis, and a declining number of cases, everything seems to be going weirdly right.
[Foreign Policy  May 14, 2020]※以下、同じ
コロナ対策において、日本(政府)は、(一見すると)それほどうまく対応しているようではない。実際、検査率は人口の0.185%であり、社会的距離(を確保するための対策)も中途半端、安倍政権に対する国民の評価も厳しい。それでも、世界的に見てきわめて低い新型ウィルス関連の死亡率、医療崩壊の回避、減少傾向にある感染者数など、新型ウィルスへの対応は、奇妙だが総じてうまくいってると言ってよいであろう。

2
The results have been impressive. As of May 14, Japan had 687 fatalities directly attributed to COVID-19 nationwide, equal to 5 per million people. That compares with a total of 85,268 deaths, or 258 per million, in the United States and 584 per million in Spain. Even Germany, seen as another success story in the pandemic, has 94 deaths per million.
(安倍政権の当初からの検査数を極力抑え、医療崩壊を防ぐとともに、死亡者を上げないという対策は)結果を見る限り効果的であったと言える。アメリカやスペインの死亡者数と比較すると圧倒的に少なく、コロナ対策の(日本以外の)もう1つの成功事例と言えるドイツと比べても少ない。

3
These almost miraculously low figures come despite Japan being close to China, with a large number of tourists. It is also the world’s fastest-aging society—yet has escaped, it seems, being severely hit by a virus that is particularly deadly to older people.
多くのインバウンド観光客が押し寄せる中国と近接しているにもかかわらず、(上掲の)死亡者数は奇跡的に低い数字となっている。

4)
In general, however, Japan’s culture of concern for others, keeping a distance, avoiding handshakes, and good personal hygiene appears to have played a significant, if difficult to measure, part in the low numbers. 
日本文化の他者への配慮、社会的距離、握手を避ける(お辞儀の)慣習、個々人の高い衛生意識が、これらは明確に検証し難い面があるとしても)低い感染率や比較的少ない新型ウィルス関連死亡者数に影響しているものと考えられる。

 このように、2) impressive, success storyのような高い評価がなされている一方で、1) weirdly, 3) miraculously, 4) if difficult to measureといった表現を見ると、この21世紀に入っても、世界、とりわけ欧米から見れば、日本は極東の不思議な国と捉えられている印象を持たざるを得ない。換言すれば、日本のコロナ対策は成功事例と言えるが、それは我々(欧米)には到底真似のできそうにないことだ、といったところであろう。




2020年5月25日月曜日

【加筆修正】日本的コミュニケーションとしての「以心伝心」とディスコース

 日本語では、しばしば「察する」、「配慮」、「気遣い」、「言わなくても分かるよね」、「空気を読め」といったことが求められることが多い。「口は災いのもと」であり、「目は口ほどにモノを言う」ように、あえて言葉にして「角を立てる」よりも、目やその他の雰囲気から自分の気持ちを伝えようとしたり、相手の意図を汲んだりしようとしたりする言語文化的特性が存在する。

 上掲したような状況は、しばしば「以心伝心」という4字熟語で表現されることであろう。「以心伝心」とは、仏教用語の1つであり、禅宗の経典「六祖壇経」にある「法即以レ心伝レ心、皆令二自悟自解一」や、燈史[歴史書]である「景徳傳燈録」の中の「仏の滅する後、法を迦葉[釈迦の弟子の一人]に対し、心を以て心に伝う」の中にその教えが見てとれる。つまり、仏法の教え[神髄]を師から弟子へ伝える際のその様を表している。

 こうした仏教の教えに加え、日本の生活形態も「以心伝心」の精神に影響を与えてきたと考えられる。(大くくりではあるが)欧米の移動型狩猟牧畜文化に対し、日本は定住型農耕稲作文化であり、人間関係よりも、周囲の環境[自然]との関係性の方が重要であったと推測される。四季が比較的明確に存在し、特定の人々と定住しながら[ムラ社会化]、協働で稲作に従事する生活においては、その多くが共有されていたことであろう。つまり、生活の糧としての「コメ」の収穫という絶対的な共通項[目標]があったわけである。そのためには、他者との(言葉による)無用ないざこざを避ける方が賢明であり、周囲の様子から学んだり、態度や行動で教え[伝え]たり、相手の顔色を窺がうことで、その気持ちを察したりするという、今で言うところの(日本的な)コミュニケーション力を発達させてきたのであろう。いわゆる文化人類学者Edward Hall氏が提唱した文化モデル「高コンテクスト文化」に分類されるということである。日本語文化圏のように、思想、信念、価値観、その総体としての文化の多くが共有されているような文化的環境を指して「高コンテクスト文化」とし、欧米諸国のような、言語に依存する割合が高いような文化的環境は「低コンテクスト文化」とされている。

 こうした点が支持されるのであれば、日本的コミュニケーションに内包される多数の言語表現を文字通りに(辞書的な意味で)受け取ることはしばしば齟齬や誤解の要因になることが推察されよう。つまりのそうしたコミュニケーションと言語表現が発現している状況を適切に把握することが求められ、それに応じて内容を解釈する必要があるということだ。この場合、意味が不明瞭になりがちで、いわば分かりにくいということだ。(我が国の国会の答弁などはその一例とも言える)この点は、欧米の方々とのコミュニケーションで発生しがちな齟齬や誤解の要因と言えるであろう。先の通り、欧米のコミュニケーションは言語(と明確なボディランゲージのような非言語)に強く依存する傾向にある。それゆえ、用いられる言語(や非言語)が映し出す意味の<世界>は最大公約数的に共有されている価値や評価となる。つまり、明確で分かりやすいということだ。また、不要な間接的、補足的な意味が排除されるわけであり、ストレートな表現とも言える。例えば、帰国子女や留学経験者が帰国後の日本社会において、「はっきりモノを言う」、「ずけずけ言う」、「イエスかノーがはっきりしている」などと揶揄されるのは、こうした欧米型の低コンテクストなコミュニケーションスタイルに影響を受けているからであろう。

人文社会科学系、自然科学系を問わず、卒業研究や大学院研究等で内容分析を試みている学生諸君は、単に一部の先行研究に依拠した考察や、自己の経験(や時に直観)に頼るのではなく、分析対象となる社会的事象や物理的現象が言語によって再現されている環境を的確に捉え、それを加味した上で、そうした言語を取り巻く環境に影響されながら紡がれた言語のかたまり、すなわち、ディスコースとして内容分析を進めると、より実態に近似的な<世界>を見出すことができるであろう。さらに、分析対象が日本社会に関するものであっても、高コンテクストという日本語文化の特性を考慮し、低コンテクストな欧米諸国の言語、特に英語から分析対象を捉えることでその<世界>の輪郭がよりはっきりと浮かび上がることも期待できるであろう。こうした社会言語学的な日本語英語両面からのディスコース分析は、今後コミュニケーションの改善にむけたアンケート調査の内容分析などに有効な研究手法となろう。

ヘルスケアコミュニケーション

 現代社会において、介護、看護といった保健福祉分野、栄養や食といった健康科学分野のいずれにおいても、それらに関する日々の営みはヒトが単独で完結できるものではないことは周知の通りである。そして、ヒトと、ヒトが求める広義のヘルスケア(介護や看護、食や栄養等を含む)との間には介在するヒトがいる。すなわち、看護師であり、保健師であり、介護士であり、社会福祉士であり、栄養士であり、食品衛生士等である。そうした介在者たる専門的スキルを有する人材の育成を本務校では目指している。
 一方、各分野における専門的知識やスキルと同様に、汎用的スキルとしてのコミュニケーション力の向上は、介在者の資質として近年特に注目されている。実際、①ヘルスケア従事者・消費者間のコミュニケーション、 ②ヘルスケア従事者間のコミュニケーション、 ③ヘルスケア消費者間のコミュニケーションは重要であると考えられている。さらに、従来こうしたヒューマンコミュニケーションは、直接の対話ベースで実践されていたが、現代社会では、 各種メディアを介したコミュニケーションも増えている。特にインターネットを介したメディア情報受容型コミュニケーションは、ヒトの医療および健康行動の変容に大きな影響を与えていると言える。
 そうした現状をふまえると、看護医療および社会福祉を融合させたヘルスケアを主たる研究対象とし、齟齬や誤解につながる一方向ではなく、双方向型且つ諸外国の動向も見据えたグローバルなヘルスケアコミュニケーションの理論的体系化と実践の基礎研究としてヘルスケアコーパスを構築し、その分析・評価を試みることは有用と考えらえる。また、ヘルスケアコーパスから抽出されるキーワードとそれらの共起語(意味的に関連する語群)に対してもディスコース分析や認知意味論を応用した社会言語学領域からの考察を加えることで、ヘルスケアの実態を俯瞰することができよう。こうした取り組みを通じて、上掲したようなコミュニケーション間の意思疎通や合意形成の適正化を目指すとともに、ヘルスケアの現状を言語的に把握し、今後のグローバル化に対応したヘルスケアコミュニケーション研究の基礎資料とすることが期待できる。さらに、メディアで提供されている様々なヘルスケア情報に対するヘルスケア消費者のリテラシー力の向上にもつながることであろう。

コロナ禍における大学•大学院教育

 今日にも東京をはじめとする首都圏で緊急事態宣言が解除されるとのことである。ニュースでは、渋谷、新宿、銀座といった繁華街での人通りが宣言前の様子に戻りつつあるようだった。
 全国の大学でも、入構制限を解除したり、対面授業すら再開したりしているところもあるようだ。本務校や非常勤先の大学は引き続きオンラインで授業を実施している。もちろん、その地域の状況により、対応はさまざまであろう。いまだ抗ウィルス薬やワクチンが開発途上の段階では、オンライン授業を継続するのが(個人的には)妥当な判断と言える。
 そのオンライン授業もそろそろ5回目となる。変則的な授業形態としてはじまったオンライン授業は、はじめこそ授業用プラットフォームの選定から、教材のデジタル化や通信環境の整備まで、教員も学生も戸惑いを隠せなかったが、ここにきてようやく落ち着きつつあるようだ。筆者は今年度の次の科目をオンラインで授業を実施している。
・本務校
【学部】
ELP2(演習)
【大学院】
国際コミュニケーション特論(講義)
・非常勤
【学部】
英語R&W(演習)
 このうち、学部の授業では、紙のテキストを中心に、オンラインで視聴可能な動画や音声ファイルを配信し、自学自習的に取り組むよう指示している。そのうえで、リアルタイムでの解説を加えている。その際、語彙の意味やや文法的な説明も意識している。当初不慣れなうちは、指定時間内をフルでリアルタイム授業を行ったが、テレビ会議システムを見続けるのは疲れるという意見が多数あり、大学院も含め、適当な時間でブレイクをとるようにしている。特に学部クラスであれば、その時間を少し長めにあえてとることにより、質疑応答の時間としてうまく機能している。科目の特性にもよるが、ブレイクを1回または2回程度設定し、そこを質疑応答の時間とすることはかなり教育効果を感じられることであろう。実際、対面ではなかなか質問する勇気がないような学生も気軽にチャット機能を活用して、するどい質問をしてくるのは興味深い。過日のニュース記事によれば、学生側も慣れてくると、オンデマンド式の授業ではなく、リアルタイム式の授業を求める声がでてきているようだ。これも科目の特性があり、どちらが良いということではないが、担当教員の顔が見えない授業は、やはり違和感があるのではないだろうか。オンライン授業の長期化により、学生側の通信環境の問題等があり、そのあたりを丁寧にケアする必要もあるが、部分的にでもリアルタイムの時間を導入し、自学自習的な課題学習の時間と併用するのがよいであろう。
 さすがに大学院は少人数のゼミ形式であるため、ほぼ通常の対面式とそれほどかわらない印象だ。もちろん履修学生の質の高さ(今年度もとても優秀!)にも依存するが、講義>課題(研究)>プレゼン>ディスカッション>考察とまとめまでの一連のながれはオンラインでも十分実施可能である。特に人文社会科学系であれば、欧米のDistance Educationのように、遠隔授業での履修が今後どんどん正規科目化されるのではなかろうか。米国のミシガン大学では、Online Degree(s)として、MBAや工学修士プログラムまで用意されている。
https://online.umich.edu/online-degrees/

s/s

2020年5月24日日曜日

【研究ブログ再開】コロナ禍における対日評価

ここ数日、いや数か月の間における日課のようなものとなったが、いつものように新型ウィルス関連のニュースを見ていると、次のような海外メディアの報道が目に留まった。

The situation is almost unheard of for state-sized regions in other major countries and a turn of fortune for a region familiar with the deadly impact of nature. Iwate—pronounced “ee-wah-teh”—was one of the worst-hit regions by a massive 2011 earthquake and tsunami. Nearly 5,800 people were confirmed dead or lost in the disaster in the prefecture.
[Wall Street Journal  May 15, 2020]

5月24日現在、日本の岩手県はいまだ感染者数ゼロとのことだ。それを不可思議な事実と捉える海外メディアの報道である。確かに人口120万人をこえる世界的にみても大都市といえる規模の地域で、感染者がでていないことは海外では奇妙な現象に映っているのであろう。そうした点は、"a turn of fortune"(「(幸)運のめぐりあわせ」)としているところからも見て取れる。また、それと同時に2011年に発生した東日本大震災での災害経験から(今回の新型ウィルスのようないわば)自然界からの影響にも(ある程度)準備ができていたのではないかという点も窺える。

※本日でちょうど6年ぶりの再開となった。まさか再開時の投稿内容が世界に猛威をふるう新型ウィルスになるとは想像もしえなかった。


【お知らせ】研究ブログを移動しました!

 本研究ブログの容量がいっぱになりましたので、新研究ブログを立ち上げました。 心機一転、研究ブログを再開したいと思います。引き続きどうぞよろしくお願いします。 新研究ブログは こちら