2013年11月28日木曜日
日英言語文化小論(18)【メディア意識研究の言語文化論的アプローチ】
■我々は、メディアが、例えば、「削除」、「歪曲」、「一般化」することで、知覚した事象の<実態>を(都合の良い)記号[通例母国語]に“翻訳”、つまり、再現[置換]した(<実態>の)近似的な<世界>に関する情報を受容しているとも言える。
これは、「・・ひとつの目標文化のなかのひとつの文化を構成し、かつ、他文化(=起点文化)の解釈・選択・評価行為として翻訳を実践するなかで、目標文化の文化触変を引き起こす。これはまさに、翻訳実践によって目標文化を再構築する営みに他ならない。」(河原 2011)にもあるように、目標(言語)文化から起点文化[事象の<実態>]を再現する過程の中で、(起点となる)事象の<実態>とそれに付随する言語文化的環境も再構築しうるということが言える。つまり、起点文化[事象]と目標(言語)文化が異なる場合であれば、本ブログで先述の「言語文化的同化」と「認知移行」に類似する現象が発生する可能性があるものと考えられる。
メディア(報道)が、起点となる事象の<実態>を解釈・選択・評価し、(本ブログで先述の)目標言語に(意識的に)“翻訳”[置換/再現]された近似的な<世界>を投影しているものとするならば、目標言語文化と言えるメディア英語の分析検証は、起点となる事象の<実態>とそれを取り巻く(言語)文化の解明にもつながると考えられよう。これは、メディア意識研究の言語文化論アプローチ という扱いになるであろう。■
*参考文献
河原清志「翻訳とは何か―研究としての翻訳(その7):字幕翻訳文化論」(山岡洋一主宰『翻訳通信』第 2 期第106 号)2011.
河原清志「翻訳とは何か―研究としての翻訳(その12):翻訳学と対照言語学」(山岡洋一主宰『翻訳通信』第 2期第111 号)2011.
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