2014年2月16日日曜日
日英言語文化小論(24)【ちゃんと感】
■本ブログ「日英言語文化小論(22)」で「・・・このように、他者に対して明確で、可視的な行為を主とするhospitalityに対し、(時に)見落としがちだが、他者にとっては心地よいことを含む対応も大切な要素となっているのが「(お)もてなし」ということになろう。」という点に触れたが、今日テレビの旅番組のようなプログラムで、来日して10年以上となる外国人ディレクターの方が、日本のもてなしに対する評価として「日本はいろいろなことがちゃんとしている」というコメントをされていたのが印象的であった。もちろん、非日本語圏出身の方の評価表現であるので、その方の語彙の問題もあるだろうが、日本のもてなしが「ちゃんとしている」という点には共感できる。これは、先述の筆者の「見落としたがちだが・・心地よいこと・・」ということと相似的な見解と言えよう。筆者自身の体験でもそうであるが、英語文化圏、特にアメリカでの生活におけるさまざまなモノのつくりこみやヒトの対応は、日本的に見ると粗い。最初の異国の地となる空港内においても、トイレなどのドアは問題なく開閉するが、いわゆる建付けは甘い(と多くの日本人は感じるであろう)。また、トイレットペーパーの質も(超一流のホテルは除き)一昔前のわら半紙のようだ。さらに、(手洗いの)蛇口のパッキンが甘いのであろうか、水がボタボタと垂れていることもよく見かける。その点、日本の成田空港や羽田空港では、そのようなことはほとんどない。ドアは建付けがしっかりしているだけはなく、閉まる時の音も静かだ。これも他者への配慮ということであろう。つまり、上掲の外国人ディレクターの指摘するように、すべてが「ちゃんとしている」のだ。仮にこうした点を(稚拙ではあるが)「ちゃんと感」とするならば、日本の「もてなし」には「ちゃんと感」という意味成分が内包され、hospitalityとの差異の1つになると考えられよう。なお、「ちゃんと」は、コンテキストに応じて英語表現は使い分ける必要があろう。例えば、モノの動きやつくりこみであれば、properly, correctly, neatlyなどが適当であろう。ヒトの対応であれば、properlyやneatlyのほか、場面によっては、politelyやcarefullyなどでもよいであろう。
このように、日本が世界に誇れる「もてなし」には、こうした「ちゃんと感」、「きちんと感」というようなものがあり、これらはhosipitalityより優位な意味成分と言えるであろう。その意味で、筆者は(言語文化的には)「もてなし」≠hosipitalityと考える。■
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