2014年1月28日火曜日
高尾の頂
■先週、学生と高尾山登頂を果たした。標高約600メートルの山に登ったことを「果たした」などと表現するのは、大げさに聞こえるかもしれないが、限られた人生の中で、エネルギーあふれる学生諸君とともに同じ場所を目指し、そこに辿り着けたことは、とても貴重な時間と言えるであろう。その意味において、筆者にとって、この日の高尾山登頂は「果たした」に等しいだけの重みがあった。
そして、山頂まで辿り着いたものだけに与えられるご褒美と言えるものが、この富士の絶景であろう。この日は澄んだ冬晴れのすばらしい一日であったことも幸いし、より一層富士を軸とする山々の荘厳さが増したようであった。
画像を通してみると遠くに感じるようだが、実際に見るとひきこまれるような圧倒的な存在感を醸し出していた。米国とカナダ国境にあるナイアガラの滝にも通ずるものがある。
中腹の休息所では、都心の高層ビル群まで望むことができた。遠くにはかすかに東京スカイツリーがそびえ建っているのがわかるであろう。
若く元気な学生との登山であったこともあり、稲荷山コースで登ることにした。50分程度で無事登頂し、帰りはゆっくりと1号路で下山した。ここ数年、山登りの人気が高いようだが、その理由の一端がわかったような1日であった。また、折を見て登りたいものである。なお、高尾山はミシュラン観光ガイド三ツ星にあげられるほどの名所である。健康である方であれば気軽に登ることのできる、都心からも約1時間というアクセス良好な点が人気の理由であろう。■
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