2013年3月18日月曜日
日英言語文化小論(10)【侘び】(二)
■先日「簡素」で、「不完全」である様に、自然と調和した美しさがあるという審美眼が「侘び」の味わいであるということに触れたが、西洋的審美眼は、直線的であったり、対称的[シンメトリー]であったりと、むしろ自然であること、不完全であること、といった日本的審美眼とは相反するところにその根幹があるようだ。実際、西洋、特に欧州には、無数の直線と対称的構造からなる有名な庭園や宮殿などがある。
こうした直線性や対称性というものは、言わば「反自然的」であり、人類が自然を征服しているということの象徴であると言えよう。Godを万物の創造主と捉えるキリスト教文化圏である西洋では、人が自然をも征服できる、という考え方が支配的である。つまり、自然との対比の中で発達した(人類の)秩序や文化はその体現であり、人類の知性や理性に基づく科学の発展へとつながってきていると言える。こうした点は、美意識の問題以外にも、医学や薬学における、自然治癒を優先する東洋医学に対し、(科学的分析的実証による)科学的・化学的・物理的治癒を施そうとする西洋医学との差異にも見てとれるであろう。
現代社会は、高度に秩序化され、文化は発達し、科学技術の進歩により創出されたモノであふれ、万人にとって居心地の良い生活で満たされている、と言ってよい。 たとえ、自然が猛威をふるおうとも、人類が英知を結集することで、いくつもの苦難を乗り越えてきたのも事実だ。それでも、自然を敬い、そこに神が宿ると信じる自然崇拝[信仰]を内包する日本社会[(語)文化圏]では、自然な様にこそ、美しさや時に神々しささえ感じるのである。その一端が簡素で人の手が極力加えられていない(より)自然な様の中に見る美意識としての「侘び」ということであり、茶道の世界では、しつらえのみならず、心の在り方としても重視される精神性であり、世界観であるとも言えよう。■
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