2012年11月11日日曜日
ハレの舞台
■ハレの舞台の「ハレ」とは、通例「晴れ」であり、非日常のことを指すと考えられる。たとえば、祭事や儀礼的行為は「ハレ・晴れ」にあたる。つまり、「ハレの舞台」とは、非日常の(一生に一度あるかないような)特別な時間や機会を表す概念である。(「ハレ」の対称概念は日常的な「ケ(褻)」であり、いずれも柳田国男が唱えた日本的世界観の一つである)
今日東京日野市にある高幡不動尊で学校茶道の合同茶会があった。顧問を務める勤務先の茶道部も参加させていただいた。ちょうど七五三の時期とあって、「ハレ姿」の親子も多くおられた。そうした中、勤務先茶道部の学生諸君にとっても、日頃の稽古の成果を、諸先生方に披露するまさに「ハレの舞台」であったと言えよう。茶の道の大先輩を前にして、時に優しく、時に鋭い視線が所作の一つ一つに注がれる中で点前を行うというのは、日頃のプレッシャーのない稽古、すなわち「ケ」の時間とは全く異質な、「ハレ」の時間であったことであろう。それでも、亭主や半東、お運びをしっかりとつとめ、しかも諸先生方からお褒めのお言葉までいただいたということは大変喜ばしいことであり、学生諸君の成長の証しである。それはもちろん、外部講師の裏千家教授K先生のご指導の賜物であるということは言うまでもない。
また一年後、学校茶道の合同茶会が予定されている。亭主や半東役の担当学生は交代していくことになろうが、本年度とは違った成長の姿を楽しみに、これからも稽古に励み、日々精進していきたいと思う。 ■
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