2012年8月30日木曜日
一疋(いっぴき)
幸せな友人から、その幸せを「お裾分け」いただこうと思ったが、「お裾分け」とは、どういうことであろう。想像に難くないであろうが、接頭辞「御」を除くと、「裾分け」、つまり、着物の裾[端]の部分にあるような(比較的)不要な箇所を他者に分け与える、ということである。厳密に言えば、たとえ「お[御]」を付けて、腰を低くしても、「お裾分け」を目上の方に用いるのは適切でないように感じる。研究室に来た学生が「先生、これ、お裾分けです。どうぞ。」などにように用いることがあるが、モノにつられて(!)その場はやり過ごしてしまうことが多い。どうしても、学生の気持ちを優先してしまう。(せっかく笑顔で持ってきてくれたにもかかわらず、口うるさく1つ1つ指摘していては学生が立ち寄らなくてなってしまうであろう。悩ましいところではある。)折を見て(時間差で)その学生に問題点を教えることにしている。
ところで、「お裾分け」の「裾」は、もちろん着物の裾を指しているのだが、その着物の数え方を知らない若い人が多いようだ。いくつか説があり、畳んでいる状態の着物は「枚」、実際に着ている状態は「着」とするのが有力だ。個人的には洋服と分けるために、着ている状態でも「枚」を好む。また、着物一枚分を仕上げられる布地のことを一反というのはよく知られているとは思うが、 二枚分のことを「一疋[匹]」というのは、ほとんどの若い人は知らないであろう。「疋」は「対(になるもの)」を意味する「匹」からの転化と考えられる。諸説あるが、古くは馬が主要な労働力であったころに、馬の尻を見て、その様子から左右対のものを「匹」と言うようになった説が知られている。実際、英語文化の影響もあり、馬を「頭(headの直訳)」で数えるのが一般的になったが、かつては馬を「一匹、二匹・・」と数えていたそうだ。興味深いことである。
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