2012年9月9日日曜日

日英言語文化小論(3)【以心伝心】


■日本語では、しばしば「察する」、「配慮」、「気遣い」、「言わなくても分かるよね」、「空気を読め」といったことが求められることが多い。「口は災いのもと」であり、「目は口ほどにモノを言う」ように、あえて言葉にして「角を立てる」よりも、目やその他の雰囲気から自分の気持ちを伝えようとしたり、相手の意図を汲んだりしようとしたりする言語文化的特性が存在する。それでは、そうした日本語の言語文化的特性はどういうものであろうか、もう少し掘り下げてみたい。
 上掲したような状況は、しばしば「以心伝心」という4字熟語で表現されることであろう。「以心伝心」とは、仏教用語の1つであり、禅宗の経典「六祖壇経」にある「法即以レ心伝レ心、皆令二自悟自解一」や、燈史[歴史書]である「景徳傳燈録」の中の「仏の滅する後、法を迦葉[釈迦の弟子の一人]に対し、心を以て心に伝う」の中にその教えが見てとれる。つまり、仏法の教え[神髄]を師から弟子へ伝える際のその様を表している。
 こうした仏教の教えに加え、日本の生活形態も「以心伝心」の精神に影響を与えてきたと考えられる。(大くくりではあるが)欧米の移動型狩猟牧畜文化に対し、日本は定住型農耕稲作文化であり、人間関係よりも、周囲の環境[自然]との関係性の方が重要であったと推測される。四季が比較的明確に存在し、特定の人々と定住しながら[ムラ社会化]、協働で稲作に従事する生活においては、その多くが共有されていたことであろう。つまり、生活の糧としての「コメ」の収穫という絶対的な共通項[目標]があったわけである。そのためには、他者との(言葉による)無用ないざこざを避ける方が賢明であり、周囲の様子から学んだり、態度や行動で教え[伝え]たり、相手の顔色を窺がうことで、その気持ちを察したりするという、今で言うところの(日本的な)コミュニケーション力を発達させてきたのであろう。いわゆる文化人類学者Edward Hall氏が提唱した文化モデル「高コンテクスト文化」に分類されるということである。日本語文化圏のように、思想、信念、価値観、その総体としての文化の多くが共有されているような文化的環境を指して「高コンテクスト文化」とし、欧米諸国のような、言語に依存する割合が高いような文化的環境は「低コンテクスト文化」とされている。
 これはあくまでも、筆者固有の言語文化的環境なのかもしれないが、本務校の一部の前期担当科目中において、「おしゃべりはやめなさい」、「ケータイ[スマホ]はしまいなさい」と学習態度を正すという行為を言語に依存しなければならない環境にあった。単に学生の方を見て、目を見ただけでは(俗に言う「睨みをきかす」)学生の肯定的な反応は得られなかった。仮にHall氏の文化モデルを支持するのであれば、同じ高コンテクスト文化にあっても、特定の教育環境は、低コンテクスト文化によって支配されていた、ということを認めざるを得ないことは、極めて残念なことである。我が国は、もはや純粋な高コンテクスト文化などではなく、高低混在のコンテクスト文化に変容したのであろう。■





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