■先日、学生が研究室に手土産を持って、立ち寄ってくれた。無事に夏期インターンシップを終えたという報告を兼ねて、挨拶に来てくれたようだ。その学生とは、教員として出会ってからもう6年になる。思い出せば、入学当初は1つ1つ、それこそ「手取り足取り」指導したものであったが、今では、外部の組織に身を置きながら、単身研究に励み、多くを学ぶまでになったようだ。頼もしい限りである。しかも、帰り際には、世話になった(と本人が感じているであろう)教員への手土産まで買い求めるようになった。派遣先の地元銘菓であった。
基本的に、筆者は(当然のことだが)学生に自分の専門分野を教授している。この学生に対しても同じである。あえて、それ以外のことを教授した記憶はない。もっとも、教育の場以外での会話の一端を学生自身が汲み取り、自分の中で咀嚼したのかもしれない。 とにかく、インターシップ終了後には、手土産をもって教員のところに挨拶に行くものだ、などと言った覚えはないし、そういうことを言うつもりもない。
今回学生自身が不可視的な「感謝」や「礼」といった概念を、可視的に表現しようとしたカタチの1つであると筆者は捉える。そして、そうしたことを学生自身が自ら学びとった、感じとったことに<ヒト>としての成長が窺える。 そうした成長の一端を共有できること、それが何よりの喜びであり、次なる教育への情熱の糧となる。こちらこそ、学生諸君の成長に感謝したい。
現在"On Diet"の身ではあるが、学生の成長を“味わい”ながら、おいしくいただこうと思う。■