2014年5月24日土曜日

日英言語文化論(29)【知覚・認知・意識】(三)


■一部重複するが、外界からの刺激[情報]を感覚器官で知覚し、”反応”としての観察による評価活動(この際、より強い刺激に、より大きな反応(注視等)が発生する)の中で、記憶との照合作業を経て、対象となる刺激[情報]を認知する。そして、こうした能動的[積極的]反応としての認知行為[(連続する)評価活動]があり、自覚、思考、判断といった(顕在)意識が”のぼってくる”ことになる。ここで、知覚の段階では点、線、角などの漠然とした像でしかなかった(現実と思われる)「実世界」の事象を自己[脳]の内に(主に言語を用いて)「実世界」の近似なものとしての<世界>を”再現”し、認識している。
 日々の営みの中で、不断の認知行為によって獲得したさまざまな「実世界」の事象を情報として記憶し、さらなる認知行為での再利用に備えながら、先の内なる主観的とも言える<世界>を、言語等を用いながら客観的実在としての《世界》を再再現することで、他者と共有できる物理的媒体を構築するのだ。
 しかしながら、ある外界の事象[実世界]を刺激として反応する際に、どの刺激にどれだけ反応するかは、ヒトの個体差があるため、再現される<世界>とそれに随伴する《世界》は同一ではなく、差異が発生することになる。これは、脳を含む神経系において何らかの刺激の遮断等が発生しているものと考えられるが、詳細は神経生理学や認知心理学などの専門書に譲ることにして、ここでは、基本的な考察に留めておきたい。
 ヒトには、知覚し、”反応”としての観察による評価活動の中で、記憶との照合作業を経て、対象となる刺激[情報]を認知する際に、そうした刺激を、記憶[経験とも言える]を参照しながら補正する働きを有している。こうしたヒトに生得的な働きは「知覚の恒常性」として知られている。それゆえ、認知的欠損ではなく、恒常現象により、再現される「実世界」の近似的な事象が<世界>のそれと、《世界》のそれとでは、ズレが発生することがあるのだ。さらに、ヒトは記憶との照合作業の際に、自己に都合のよい情報を(積極的に)参照することがある。こうした点は、確証バイアスや偏見・先入観などと言われる認知行為[思考・判断]である。加えて、ヒトは認知的不協和を解消するために、合理的判断を選択するという態度もとることがあり、(現実と思われる)「実世界」の刺激[情報]を、自己に都合のよいように歪められて<世界>や《世界》が再現されることがあるのだ。
 ヒトの生命活動としての知覚、認知、意識の中で、こうした「知覚の恒常性」や「認知的不協和」を解消するための(積極的な)「合理的判断の選択」によって動因される「実世界」と<世界>・《世界》とのズレ、もしくは認知上の(健全な)「錯覚」 が、「実世界」を主に言語によって再現を試みるメディア(英語)にも散在していることであろう。こうしたズレや錯覚の解明は、メディア英語学の研究対象と言えるであろう。■

日英言語文化論(28)【知覚・認知・意識】(二)


■時に「意識」とは、外界の事象に対する符号(通例言語)による紐付け、すなわち意味付けをすることであると言われる。前回触れたように、ある刺激を(感覚的に)知覚し、認知したということは、その刺激を過去の保存データ[記憶]と照合作業を経て、“反応”できる状態としての意味付けがなされたのであれば、意識していると考えられる。同時にそれは、(言語的意味付けによる)自覚、思考、判断という能動的[積極的]反応が可能な状態であるということを考えれば、(潜在的に対する)顕在的意識としても捉えることができよう。そして、連続する知覚や認知による保存された「記憶」、すなわち、”反応の定着”が得られた状態が無意識ということになろう。それは同様に、潜在意識とも言えよう。つまり、前回残しておいた「意識にのぼる」とは、外界の刺激を(感覚的に)知覚し、記憶の照合作業を経て認知した事象[現象]に能動的[積極的]反応としての自覚、思考、判断等が発生する状態と言えるのではないであろうか。■

 

2014年5月19日月曜日

日英言語文化小論(27)【知覚・認知・意識】(一)


■本ブログの主たるテーマである「言語と文化」の本質的理解をより深化させるために、生命科学の視点からも考察する必要があろう。そこで、言語と文化の獲得に係るヒトの基本的な構造について概観してみようと思う。(なお、本拙文は、今後の研究への備忘録的な意味も含まれる)
 まず、本ブログでは、外界をヒトの外部にある事象を、内界をヒトの内的事象[心象]とし、外界は他者と(近似に、又はある程度)共有可能であるが、内界は直接的には共有不可能とする。
 ヒトは日々の営みの中で、さまざまな外界からの刺激を情報として受容している。例えば、ヒトは、外界の刺激[情報]である光を(外)受容器である目で(感覚的に)知覚し、 角膜、水晶体、硝子体等を経て、網膜で結像し、(目の網膜で電気信号に変換され)視神経を通じて脳に伝達され、そこで外界を像として認知している、つまり「(モノが)見える」という状態になっている。我々はしばしばヒトが外界の像を見えるがままに受け止めている、と考えがちであるが、以上の点をふまえれば、受け入れているのはあくまでも刺激としての光であり、結像して、脳に伝達される像が、(ある意味)そのヒトだけに再現される像と言えるのだ。実際、我々は目の前の「実世界」(と呼ばれる事象)のあるがままを知覚し、認知しているわけではない。試しにカメラで撮影した像と比較してみるとよい。写真にはあるはずの像がない、ということがヒトにはおこりうるであろう。これは、より強い刺激(や変化)に対して注視[大きく反応]する(後述するが、「意識にのぼる」ということ)ことになるからであろう。当然いま見えているはずの「実世界」であっても、知覚し、認知できていない「実世界」の断片があるはずだ。それゆえ、ヒトの個体の数だけ、客観的な事実や事象、物理的現象としての「実世界」とは別に、「(実世界に)近似の世界」が存在しうるということになる。■


 

2014年5月18日日曜日

茶の湯のことば―貴人清次


■茶の湯の点前の1つに、貴人清次[きにんきよつぐ]というのがある。貴人とは、「高位な(官職にある)人」ということである。実際には、皇族、貴族、有力大名のほか、高僧等が含まれていたものと考えられる。清とは、前の貴人と同義であり、次とは、貴人の御伴のことである。つまり、貴人とその御伴の方にも茶を差し上げる点前である。
 興味深いことに、貴人には、通例(比較的)安価な白焼きの茶碗を白木の貴人台に乗せて茶を出すことになる。


 これは、高貴な方には、たとえ高価であっても、他人と使いまわす茶碗で茶を出すことはしない、つまり、使い捨て、と言う意味で、白焼き茶碗と白木の台を使用し、終了後、割って捨てることになる。したがって、不思議なことではあるが、御伴の方用の茶碗が高価であるということがおこりうるのだ。また、裏千家茶道では、貴人用茶筅は白竹であるが、お次[御伴]用の茶筅は煤竹である。したがって、貴人清次の点前所作では、貴人用とお次用で異なる箇所があり、その1つとして茶筅の使い分けがあるのだが、その使い分けをうっかりして忘れると、使い終わった貴人用でお次の茶を点てるといった無礼をおこなってしまうことがあるのだ。そのような時は「お手打ちだ」と揶揄するのである。(筆者が戦国時代の茶人であったのであれば、命がいくつあっても足りないくらいであったことであろう・・・)■



ことばと文化の一筆箋(19)「五月晴れ」と「さわやか」



■日曜の午後、心地よい風に誘われるかのように、散歩を兼ねて和菓子を買いにでかけた。上を見上げると、澄み渡る、さわやかな空が広がり、まさに「(梅雨前の)五月晴れのようだ」と心でつぶやいた・・・その時、はたして今が5月だから、快晴を「五月晴れ」と呼んでいいのか、それとも、もうすぐやってくる梅雨の時期に、つかの間の晴れの日こそが「五月晴れ」なのか、気になった。近所の和菓子司で目あてにしていたかしわ餅(個人的にみそ餡が好みだ)を買い求め、自宅で意味を確認した。
  広辞苑では、①さみだれの晴れ間、②五月の空の晴れわたること、と両方明記されている。NHK放送研究所でも、「新暦の5月の晴れ」の意味をもとは誤用であったとした上で、その誤用が定着したと指摘している。
[五月晴れの使い方は?](NHK放送研究所ホームページ)
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/097.html
 なお、上記サイトで、同様の誤用が定着(?)している他の事例として、「さわやか」を挙げている。それによると、「さわやかな」は 秋の季語であるそうだ。つまり、今日の東京の陽気では、思わず「さわなかな風薫る五月晴れの空のもと、、、」などとしたくなるところだが、日本語に繊細な方であれば、抵抗を感じることであろう。筆者自身の無学さを恥じ入るとともに、これを機に、日本語表現に気を付けたいと思う。
 これは、余談であるが、かしわ餅には一般に小豆餡とみそ餡がある。通例(肉まんとあんまんの印のように)見分けるために、かしわの葉の表を上に巻いてあれば小豆餡、裏を上に巻いてあればみそ餡というようにしてあるそうだ。■


 かしわ餅(みそ餡)
※和菓子司・浜屋製



2014年4月3日木曜日

くつぞこ(?)



■先日有明海を臨む福岡大牟田で、知り合いの先生と食事をする機会があった。かつて炭鉱の町として栄えた大牟田であるが、現在は下降気味な雰囲気は否めないようだ。いわゆるシャッター商店街のような空気が漂っていた。そうした中、駅近くの粋な小料理屋に連れて行ってくれた。人気のない駅前とはかわり、そこではどこから集まってきたのかというほど、人が入っていた。地元の人気店なのであろう。確かにお品書きはどれも“旨そう”であった。五島で獲れる魚を中心に、刺身でいただいた。その後、有明海の珍味と言われる「くつぞこ煮」を食すことにした。由来はまさに靴の底のような形だからだそうだ。ヒラメの仲間ということで、東京あたりで言えば、カレイの煮付けということになろうか。味もあっさりとした白身と甘辛な煮汁で、同じような感じであった。もちろん、おいしく頂戴した。

くつぞこ煮

 それから博多に戻り、知り合いの店に挨拶がてら寄ることにした。昔話(というほど昔ではないが・・)をしているうちに、夜が更けていった・・・■

対岸に中洲を望む





飛梅



■(先の内容と話しは前後するが)先日、久しぶりに太宰府天満宮を訪れる機会があった。昨冬には北野天満宮に参拝しており、菅原道真公の足取りを追うような感じであった。

「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

 ちょうど参拝した時期は、梅が満開であり、休日ということもあり、参道は名物「梅が枝餅」を求める方でにぎわっていた。筆者は、近くの九州博物館に寄ろうと思い、境内に入る手前を右折した。その途中で、参道の喧騒から少しはずれた雰囲気に誘われるかのように、茶店でひと息つくことにした。「梅が枝餅」と一緒に、甘酒も注文した。いずれもとても甘みが強かったが、添えてあった梅干がほどよく味わいを整えてくれた。


その後、九州最古といわれる枯山水がある光明禅寺にも立ち寄った。山門すぐにある紅梅の姿が目に留まった。



とてもよく整えられた庭である。


当日は暖かい春の日差しが差し込み、苔の緑と調和しながら、春らしい色合いを出していた。

下は午前中に訪れた茶室庭園「松風園」(福岡市文化交流公園、平成19年開園)であるが、それはそれで、とても綺麗であったが、まだまだ人の手の“垢”が抜け切れていないようであった。光明禅寺の枯山水も、京都の禅寺の方丈庭園なども、最初は人の手によるものであるが、やはり“時”の重みというものは尊いものである。そこで感じる“違い”は明らかだ。いずれそうなるであろうが、松風園にはもう少し時間が必要であろう。ただ、こうした庭園が身近で増えることは日本文化の伝承と発展にとても良いことである。■




2014年4月2日水曜日

・・・サクラ咲く



■キャンパス内のサクラも一気に咲き始め、今週末予定の入学式には見ごろを迎えることであろう。それと同時に、また元気な(すぎる?)声が戻ってくる。こちらも負けないよう、気合を入れていくとしよう。。。■





2014年3月6日木曜日

茶の湯のことば―旅箪笥



■旅箪笥・・・おそらく日常生活でこの言葉を耳にすることは少ないであろう。これは、茶道具の1つで、「・・小田原の役に従軍の際、旅持ちの茶箪笥として創案されたとする」とある。(『茶道大辞典』、淡交会刊、2010年、p.726.)炉、風炉用の(簡易)棚の一種であるが、これを用いた点前稽古は、なぜか年1回するか、しないかというものである。それにしても、緊迫する戦場でも茶を所望できるよう、こうした茶道具を準備させておくとは、豊臣秀吉と千利休の泰然自若な姿が目に浮かぶ。■

※「泰然自若」とは、「落ち着き払っていて物に少しも動じないさま」という意。(『岩波国語辞典第七版新版』、岩波書店刊、2011年、p.882.)





2014年3月2日日曜日

日英言語文化小論(26)【尾頭付とwhole fish】



■前回魚の向きを取り上げたが、それは頭と尾がその向きの対象として存在するからである。日本の食文化的には何ら違和感はないが、非日本文化圏から見れば、必ずしもそうとは限らない。まず、日本では、魚に頭と尾が付いていると、なぜうれしい、(俗っぽい感覚ではあるが)得した気分になるのであろうか。それは、尾頭付の魚は歴史的に慶事の際に目にすることが多いからであろう。諸説あるようだが、神事における神饌(御供え物)の1つに(海・川の幸の象徴としての)魚があり、手を加えていない頭と尾を付けたまま供えた、ということが考えられる。(この点は、古来において生娘を人身供物[生贄]として神に捧げたという伝承にも通じるものがある)また、中国では、良い1年の始まりから終わりまでを意味して頭と尾が一体となった魚を食すのが春節(中国の旧正月に相当)の定番となっている。さらに、太極図として知られる図柄は、中国では陰陽魚と呼び、太陽の中に魚に見立てた陰と陽を表していると考えられている。この場合、尾から頭にむかって気が盛んになる様を表しているそうだ。つまり、尾と頭の付いた魚の一体が重要なのだ。このような尾と頭に、(平安な森羅万象の)始めや終わり、陰と陽、気の広がりなどを意味付けした中国からの慣習による影響も少なからずあったものと考えられる。その他、尾頭付きの魚と言えば、鯛が代表的と言えるが、必ずしも鯛である必要はなく、身が立派で、祝いの色とされる赤身の姿、語呂による「めでたい」等の理由により、高級魚であった鯛が、淡水魚の鯉と同様に、特別な魚として扱われ、その尾頭付きが最も祝いの席にふさわしい魚になったものと考えられる。商売繁盛の神として有名な七福神の恵比寿様も、その左手に(尾頭付の)鯛を抱えており、大漁の象徴となっている。なお、縄文時代の貝塚からもアサリ等の貝類のほかに、鯵や真鯛の骨が出土しており、古来から鯛が食されてきていることが分かっている。このように、日本では、八百万の神々への神饌であったという歴史や大陸の食文化の影響という点から、(手の付けられていない)尾頭付きの魚(特に鯛)が特別な、縁起の良いものとなっていると判断して良いであろう。
 一方英語文化圏、特にアメリカでは、尾頭付きに相当する魚はwhole fishと呼ばれる。また、内臓を取り出し*、ウロコを落とした**だけで、尾頭ヒレ付の下処理済はdressed fishという。それに尾頭ヒレを落としたいわゆる切り身に相当するものがpan-dressedとなる。これは(アメリカでは)焼き魚を調理する際に用いるskillet pan用に下処理された、という意味であろう。 骨まで取り除き、買ってすぐに調理できる状態のもの[切り身]はfilletとなる。これは余談であるが、英語で尾頭の意のhead and/or tailには、コイントスなどの表と裏、天地などの意味があり、魚の向きに関しても左右よりも、上下に何らかの意味づけがあるかもしれない。例えば、日本で魚を釣り上げた場合、両手で頭と尾を横にして記念写真を撮ることが多いが、アメリカでは、エラのところに手を引っかけて片手で頭を上に持ちながらとるポーズをよく見かける。(これは魚の種類や大きさが関係しているか・・)このあたり、今後の調査対象としたい。■

*内臓を取り出すは、guttedと言う。gut(s)は内臓。
**ウロコを落とすは、scaledと言う。scaleはウロコ。


魚の向き



■筆者が尊敬する方が公開するブログ上で魚の向きについて触れておられた。前回焼き物を含む懐石を取り上げたこともあり、筆者も気になった。確かに魚の向きは(当たり前のように)頭が左であるという感覚をもっている。茶懐石の焼き物であれば、魚の切り身であることが多いため、その根拠を見出すことは難しいが、現代のぜいたくな懐石[会席]料理であれば、(焼き物であれ、お造りであれ)尾頭付のものが出されることが多い。その場合、通例頭が左向きだ。筆者の意見としては、これには日本の「右利き文化」が影響しているものと考える。まず、料理人が魚を捌く際、包丁(通例右利き用)を右に持ち、左手で(可食部の少ない)頭を押さえるであろう。頭を落とす場合であっても、胸ビレの下あたりから包丁を挿しこみ力を入れて切り落とすため、右手であれば内側に力が入れやすいように左斜め下(頭の方)に向かって包丁を入れるのが自然だ。もし頭が右であれば、(主たる可食部である)腹や背を押さえ、右斜め下、つまり外側に包丁を(手首を内側に少しひねりながら)落とすことになるので、力が入りにくい。また、下処理としてウロコをとる作業もあるが、ウロコの付き方と逆にこすり落とすのにも内側(右利きであれば左の方へ)に包丁をこすっていく方が自然であろう。インターネット上で魚の捌き方を紹介する動画もあるが、大半が頭を左にしている。次に、右利き中心の筆文化を基本とする日本語圏では、右から左へ(上から下へ)と書きすすめる。その際、魚の絵を描く場合、気持ち的にも同じ方向に泳いでいく様が自然であろう。また、筆による筆記の場合、特に横線であれば(漢字の書き順と同様に)左から右に引くように書くのが自然で無理がない。一般に魚を描く場合の始点となる(であろう)口先から魚の線を描くのであれば、頭側が左にくることになる。(尾から頭にむかって筆を引いたり、尾を左にして、尾を始点にしたりすることは考えにくいと言える)江戸時代の絵師・歌川広重の錦絵でも、頭が左(やや斜め下)向きである。(こちら)実際、こうした影響を受けてか、釣り愛好家が釣り上げた魚を魚拓として残しておく場合も基本左向きである。最後に懐石料理とも関連するが、焼き魚を食べる際、可食部が大きく、旨みがあるのは頭寄りであり、右利き中心の箸の食文化が根付く日本では、左手で頭を押さえながら右手の箸で食すのが都合がよい。当然その場合も頭が左側にある方がよい。また、作法として魚を裏返しにすることはしないので、表側を食べ終わると、中骨を折り、尾に向かって骨をとり、身の上[奥]側に骨を置く。この場合も(空いている)左手で押さえるのに頭が左にあるほうが都合よい。
 このように、大雑把ではあるが、料理人が捌きやすい、客が食べやすい、絵師が描きやすい、等々の理由により、日本文化的には、魚の向きは「かしら左」が最も自然である、と言ってよいであろう。確かに焼き魚の頭が右で出されたのであれば、筆者もかなりの違和感を覚えるであろう。昨年、「和食」が世界無形文化遺産に登録された。また、2020年夏季五輪の開催地として東京が選出された。否応なしに日本への世界的注目は集まっている。今回取り上げた魚の向きや尾頭付の魚がなぜ特別で、慶事的意味合いがあるのか、こうした日本人として何気ないことにも意識をもって日々の営みを大切にしていきたいものである。■



茶の湯のことば―一汁三菜



■前回、茶の湯の基本は茶事であり、初座(前半部)で懐石料理をいただく。その懐石は、かつては数種類の膳が出される本膳料理や、その後の茶懐石料理に影響を与えた精進料理をともなうことがあったようだが、(村田)珠光、武野紹鴎、千利休へとつながる草庵茶、侘び茶への流れの中で、一汁三菜を中心とする茶懐石が確立されていった。
 現在裏千家では、最初の膳として、折敷の手前左に(ゆるめに炊いた)飯、その右に汁物を、その向こう側に生魚等の造り()の小鉢(「向付」)を三角形になるように置く。その後出される、煮物椀(欧米料理のメインディッシュに相当)と焼き物(魚介類が多く、客人数分を盛り合わせる)を合わせて一汁三菜と呼ぶ。続けて、箸先を清める意味の吸い物(「箸洗」)、酒の肴を二種程度を八寸サイズの盆に盛り付けた八寸、香の物(漬物)が出され、飯釜のコゲを湯漬けした湯桶で最後となる。なお、最初の膳を出し、亭主は客に酒を一献(一杯)すすめ、箸洗のあとに八寸を出し、さらに酒をすすめるということからも、(茶)懐石と酒の結びつきは強いようだ。現在でも用いられている献立(メニュー)とは、一献(酒を一杯すすめる)を立てる(仕込む、作り上げる)ものということである。つまり、酒をすすめるための肴類ということになろう。そこから、(酒の肴を含む)料理全般の一覧を指すようになったと考えられる。■

2014年3月1日土曜日

茶の湯のことば―茶事



■茶の湯の基本は茶事と呼ばれる、前半に懐石(食事)、中立ち(休憩)を挟み、後半に濃茶、薄茶(喫茶)をいただくことであり、これらを通じて時を楽しむものである。茶事は、「正午の茶事」が一般的且つ正式なものであり、いわゆる昼食をともなうものである。その他、暑い夏に早朝の涼を感じながら催される「朝茶事」、冬の夜長を楽しむ「夜咄・夜会」、前夜からの残りの灯りの風情を楽しむ「暁の茶事」、茶の湯世界の正月とされる11月の炉開きのころ、新茶の壺の封を切る「口切りの茶事」、椅子と点茶盤(点前用)、喫架(客用机)等を用いた「立礼茶事」などがある。
 こうした正式な茶事は通例数時間かかるため、現代社会では、それを催すのは容易ではなくなってきており、懐石を省略し、喫茶のみに簡略化した茶会が一般的となっている。また、茶道教室における日々の稽古においても、そうした事情に合わせるかのように、喫茶の部分が中心となってしまっているが、本来は炭の扱いから、懐石についての知識や所作も稽古する必要があるのだ。■


ことばと文化の一筆箋(18)カカオの効能










ことばと文化の一筆箋(17)頭痛とheadache






※一般に、頭痛はheadacheであるが、いわゆる偏[片]頭痛であれば、migraine、(筋)緊張型頭痛であれば、tension (-type) headacheが相当するであろう。その際、nausea「吐き気、むかつき」やvomiting「嘔吐」を伴うことがある。筆者の場合、"I have [suffer from] migraine(s) with nausea."ということになろう。


2014年2月23日日曜日

日英言語文化小論(25)【牛乳とmilk】



■先週の大雪で、筆者の生活圏は大変な状況になっている。今週末やっと天候が落ち着き、物流も安定してきたものの、除雪等、まだまだ復旧対応に追われそうだ。そうした中、近隣のスーパーでは、いっとき牛乳や食パンが商品棚から全くなくなっているという状態になっていた。数年前の震災時を想起させるものであった。ここ数日は徐々に供給がおいついてきているようだが、こうした大雪でこれだけの変化が生じるということは、ここ数年警戒されている東海地震発生時には、どのようなことになってしまうのか、本当に心配だ。たまたま筆者の生活圏では、発生しなかったが、一部の地域では停電によるさまざまな障害にみまわれたようだ。これだけ近代科学が発達したと考えられている現代社会においてもこのような混乱になるということは、いにしえの人々が自然に対して畏敬の念をもって接したことを、あらためて考えさせられる。
 ところで、今回すぐに供給不足となった牛乳であるが、通常の商品棚であれば、多くの種類が陳列している。それでも、「牛乳」と表示できるものには、きちんとした決まりごとがある。大別すると、次のようになる。

「牛乳」:成分無調整で、無脂肪乳固形分8.0%以上、乳脂肪分3.0%以上のもの
「低脂肪牛乳」*:乳脂肪分のみを調整し、乳脂肪分0.5%以上1.5%以下のもの
「無脂肪牛乳」*:乳脂肪分のみを調整し、乳脂肪分0.5%未満のもの
 *「成分調整牛乳」という括りになる。
これらは原材料が生乳100%であるが、それに対して、「生乳」、「牛乳」、「特別牛乳」、「成分調整牛乳」、「低脂肪牛乳」、「無脂肪牛乳」、「乳等省令で定められた乳製品の一部」のうちいずれかが原料となるものに「加工乳」がある。
「加工乳」:無脂肪固形分8%以上であれば「加工乳」と呼び、(それ以下で)含まれる無脂肪固形分の割合により「低脂肪乳」「無脂肪乳」に分類されるもの

確かに、つい値段で判断して購入してしまうと、実は「牛乳」のつもりで買ったものが、「低脂肪乳」という「加工乳」であったり、「乳飲料」**であったりというようなことがおこりうる。
**「生乳」、「牛乳」、「特別牛乳」、「成分調整牛乳」、「低脂肪牛乳」、「無脂肪牛乳」、「乳製品」、のいずれかを原料とし、他にカルシウムや果汁等を加えたもの

 筆者が大学院時代に過ごした米国中西部のスーパーマーケットKrogerでは、FDA(全米食糧医薬品局)の規制に基づき、milkは以下のように大別されている。

whole milk:no less than 3.25%(乳脂肪分3.5%程度のものが多い)
low-fat milk:0.5-2.0%(いわゆる低脂肪牛乳。通例乳脂肪分1%程度のものを指す)
reduced-fat milk:2.0%(一般に乳脂肪分2.0%のものを指す)
skim milk:less than 0.5%(fat-free/non-fat milkに同じ。つまり無脂肪牛乳)

 上掲の日本の「(成分無調整)牛乳」に相当するのが、"whole milk"ということになるが、確かビタミンDが添加されていた記憶がある。当時は意識していなかったが、日本的成分無調整というものがあまり(ほとんど)なかったような気がする。もっとも、ほとんどの方はlow-fat, reduced-fat, skim milkを買っていたと思う。ただ、それだけ脂肪分を気にするのであれば、ハンバーガーやフライものの摂取を制限すればよほどいいと思うのだが。。。

 実際、牛乳はカルシウムやたんぱく質が含まれ、基礎代謝の維持という点から、(英語文化的な)ダイエットに効果的であると思う。それでも、飲みすぎはよくないであろう。ちなみに筆者は低脂肪”牛乳”のほか、(無調整)豆乳を積極的に摂るようにしている。いまのところ、健康上は効果的に作用しているようだ。■


 Kroger Reduced-fat milk (2%) *Gallon(約3.8リットル)サイズがアメリカ的



2014年2月16日日曜日

日英言語文化小論(24)【ちゃんと感】



■本ブログ「日英言語文化小論(22)」で「・・・このように、他者に対して明確で、可視的な行為を主とするhospitalityに対し、(時に)見落としがちだが、他者にとっては心地よいことを含む対応も大切な要素となっているのが「(お)もてなし」ということになろう。」という点に触れたが、今日テレビの旅番組のようなプログラムで、来日して10年以上となる外国人ディレクターの方が、日本のもてなしに対する評価として「日本はいろいろなことがちゃんとしている」というコメントをされていたのが印象的であった。もちろん、非日本語圏出身の方の評価表現であるので、その方の語彙の問題もあるだろうが、日本のもてなしが「ちゃんとしている」という点には共感できる。これは、先述の筆者の「見落としたがちだが・・心地よいこと・・」ということと相似的な見解と言えよう。筆者自身の体験でもそうであるが、英語文化圏、特にアメリカでの生活におけるさまざまなモノのつくりこみやヒトの対応は、日本的に見ると粗い。最初の異国の地となる空港内においても、トイレなどのドアは問題なく開閉するが、いわゆる建付けは甘い(と多くの日本人は感じるであろう)。また、トイレットペーパーの質も(超一流のホテルは除き)一昔前のわら半紙のようだ。さらに、(手洗いの)蛇口のパッキンが甘いのであろうか、水がボタボタと垂れていることもよく見かける。その点、日本の成田空港や羽田空港では、そのようなことはほとんどない。ドアは建付けがしっかりしているだけはなく、閉まる時の音も静かだ。これも他者への配慮ということであろう。つまり、上掲の外国人ディレクターの指摘するように、すべてが「ちゃんとしている」のだ。仮にこうした点を(稚拙ではあるが)「ちゃんと感」とするならば、日本の「もてなし」には「ちゃんと感」という意味成分が内包され、hospitalityとの差異の1つになると考えられよう。なお、「ちゃんと」は、コンテキストに応じて英語表現は使い分ける必要があろう。例えば、モノの動きやつくりこみであれば、properly, correctly, neatlyなどが適当であろう。ヒトの対応であれば、properlyやneatlyのほか、場面によっては、politelyやcarefullyなどでもよいであろう。
 このように、日本が世界に誇れる「もてなし」には、こうした「ちゃんと感」、「きちんと感」というようなものがあり、これらはhosipitalityより優位意味成分と言えるであろう。その意味で、筆者は(言語文化的には)「もてなし」≠hosipitalityと考える。■


2014年2月14日金曜日

日英言語文化小論(23)【バレンタインとValentine】




■過日立春の雪を話題にしたが、先週に引き続き、今週末も大雪だ。(自然)環境の変化に筆者も含め、近隣一帯は対応に追われている。しかも勤務先では入試も控えており、迅速且つ適切な除雪作業等が求められる。頭の痛いところだ。
 そうした中、通常の学生諸君、とりわけ男子学生は、今日214日をそわそわと過ごしたことであろう。一般にバレンタインデーと言われ、その起源は3世紀、時の皇帝Claudius IIが治めていたローマ帝国にまでさかのぼる。一説には暴君とまで呼ばれたClaudius IIは強固な軍隊の構築を目指したが、家族や恋人の存在が兵士の士気に影響することを懸念し、婚姻を一切禁ずる法律を発令した。そうした中、Valentine司祭は、何人も(人を)愛する自由が侵されるべきではないという信念を貫き、秘密裏に婚姻の儀を執り行い続けた。ところが、ある日その事実が発覚し、囚われの身となってしまった。そして、Claudius IIは、彼をキリスト教からローマ神教へと改宗するよう命じたが、それを拒んだことにより、Valentine司祭は投獄されてしまった。その後、彼に仲をとりもっていただいたカップルを中心に多くの若者が面会に訪れた。その中に、看守の娘で盲目の女性がいた。彼女は収監中のValentine司祭を励まし、精神的に支えたのだ。その姿勢にValentineも彼女(の目のこと)を祈り続けたのであった。そしてついに奇跡がおき、彼女視力を取り戻したのであった。
 Claudius IIの命令に背き続けるValentine司祭に、ついに死刑が宣告され、214日がその日となった。処刑当日、Valentine司祭は、彼女に最後の手紙を宛てたのであった・・最後に"From your Valentine"という署名を遺して。これこそが、バレンタインデーのはじまりである。こうして最後まで真実の愛とそれを享受する自由が何人にも与えられるべきだという信念を貫いたValentine司祭をたたえ、彼は愛守護聖人として今日に至っている。つまり、214日のバレンタインデーは、愛のために殉教したValentine司祭の命日なのだ。そして、大切な人にメッセージを伝えることが重要なのである。単チョコレートをわたす日などと考えるだけではなく、こうした歴史をふまえ、ホワイトバレンタインとなった214日を過ごしてほしいものである。そして、いまからでも大切な人に"From your Valentine"のメッセージを送ってみては(現代は送信か・・)どうであろうか。なお、より親密特別人(になってほしい方)であれば"Be my Valentine"という表現もある。なお、チョコレートを贈るという慣習は日本発祥とされており、1936年神戸の老舗洋菓子店モロゾフの新聞広告がきっかけと言われている。欧米では、Valentine's Day Cardを中心に、本や花を贈るという習慣をよく聞く

※以前本ブログでも触れたが、英語(文化)圏と比較し、日本(語文化圏)がコンテキストに依存する高コンテキスト言語文化圏であるとするならば、チョコレートや類似の菓子類に愛のメッセージ性を内包させるという姿勢は十分理解できよう。


2014年2月4日火曜日

春浅し


■暖かい陽気の中、昨日は節分であった。ご存知のように、節分とは季節の節目[変わり目]であり、現在では立春の前日を指すようになっている。かつて季節の変わり目には邪気が入りやすいという見方があり、それを追い払うために宮中行事の名残りとしての豆まきが普及したと考えられている。筆者は、節分を迎えると、すぐに入試、卒業式と続き、新学期の準備に追われながら、気がつけば桜開花のニュースとともに入学式の案内が入る、という感覚をもっている。筆者にとっても、まさに節分は春に結びつく節目の時間なのである。
 ところが、今日昼過ぎから勤務先一帯が雪に覆われたのだ。その時間はそれほど長いものではなかったが(夕方には落ち着き、明日の朝にはさほど残っていないであろう)、ここ数日の暖かさとは一変した様子に、ちょっとびっくりした。「春浅し」とは、今日のような1日の思いにあてる季語として用いてもよいであろう。■

白き皿に絵の具を溶けば春浅し

夏目漱石


立春の空や木の芽と、春色が整わない様子が感じられる。



2014年1月28日火曜日

高尾の頂


■先週、学生と高尾山登頂を果たした。標高約600メートルの山に登ったことを「果たした」などと表現するのは、大げさに聞こえるかもしれないが、限られた人生の中で、エネルギーあふれる学生諸君とともに同じ場所を目指し、そこに辿り着けたことは、とても貴重な時間と言えるであろう。その意味において、筆者にとって、この日の高尾山登頂は「果たした」に等しいだけの重みがあった。


そして、山頂まで辿り着いたものだけに与えられるご褒美と言えるものが、この富士の絶景であろう。この日は澄んだ冬晴れのすばらしい一日であったことも幸いし、より一層富士を軸とする山々の荘厳さが増したようであった。


画像を通してみると遠くに感じるようだが、実際に見るとひきこまれるような圧倒的な存在感を醸し出していた。米国とカナダ国境にあるナイアガラの滝にも通ずるものがある。

中腹の休息所では、都心の高層ビル群まで望むことができた。遠くにはかすかに東京スカイツリーがそびえ建っているのがわかるであろう。


若く元気な学生との登山であったこともあり、稲荷山コースで登ることにした。50分程度で無事登頂し、帰りはゆっくりと1号路で下山した。ここ数年、山登りの人気が高いようだが、その理由の一端がわかったような1日であった。また、折を見て登りたいものである。なお、高尾山はミシュラン観光ガイド三ツ星にあげられるほどの名所である。健康である方であれば気軽に登ることのできる、都心からも約1時間というアクセス良好な点が人気の理由であろう。■


2014年1月12日日曜日

歩み


■今日は、かけがえのない人が、また1つ、その歩みをすすめる記念すべき日である。もちろん、これまで止まることなくしっかりと歩み続けている。それでも、(日本)文化的には、1年、365日、1日24時間、1時間60分・・・等々により連続する<世界>を分節化することで、節目をつくりだしている。そして、その節目ごとに、時の流れや歩みを意識するのだ。
 かけがえのない人の歩みの足跡も、年を重ねるごとに、しっかりと大きなものになっている。頼もしい限りである。まさに成長の証しとは、こういうことなのであろう。時の概念に区切られた節目を大事にして、慌てず落ち着いてこれまでの歩みと、これからの道を、考えてみることは大切なことであろう。そういう点からも、かけがえのない人にとっての今日は、特別な意味のある日なのだ。■


※昨年同様、ここにもかけがえのない人の歩みの証しがある。ケーキ屋さんのお心遣いに感謝する。



2014年1月1日水曜日

茶の湯のことば―茶扇子


■茶道では、袱紗同様、男性用と女性用の別がある。通例男性用は六寸、女性用は五寸である。茶道では、扇子は重要な道具の1つであり、様々な場面で用いられることになる。常に携帯し、挨拶の時などでは、必ず扇子を前に置き、一歩控える、という意味を成す結界の役割として用いられる。
 紙が貴重であった平安時代には、ちょっとしたメモ書き用に「木簡」(短冊上の木片)を用いることが多かったが、しばしば書き留めた木簡がバラバラと散らばり、整理し難いという状況が発生したものと考えられる。それを、紙縒[こより](細長く切ったを紙をよりあわせて紐状にしたもの)で結び合わせたものが扇子の原型とされている。つまり、扇子は現代における手帳のようなものであったと言える。 その後、メモだけでなく、絵なども書き、装飾用へと発展していったものと考えられている。
 年末年始、テレビではいわゆる時代劇が放送される機会が多いが、装飾品に目を向けると、時の(戦国)大名が大ぶりの扇子を持っているシーンがでてくる。これは扇骨(親骨)が鉄でできた鉄扇と呼ばれるもので、武士が護身用に携帯していたものである。そのほか、能における仕舞扇、日本舞踊における舞扇、慶事弔事で用いる式服扇、単に飾り付け用の飾り扇などがある。なお、茶扇子は、通例開いて使用することはなく、閉じたままご挨拶や拝見などに用いる。但し、先生などにお礼等をお渡しする際には、扇子を開き、その上にのせることがある。■

(京都)宮脇賣扇庵製・干支茶扇子 ※撮影用に開扇

茶の湯のことば―花びら餅(2)


■裏千家茶道では、新年の菓子として「花びら餅」をいただくことが多い。平安時代から伝わる祝い菓子の1つである。根をしっかりとするところから縁起ものとされる牛蒡を、吉兆を呼ぶ縁起ものの魚である鮎に見立てて求肥で包む餅菓子だ。本年は、(一般的な)山側(折れている方)を向こうにして撮影した■

(多摩武蔵野)青木屋製




謹賀新年







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