2014年5月24日土曜日

日英言語文化論(28)【知覚・認知・意識】(二)


■時に「意識」とは、外界の事象に対する符号(通例言語)による紐付け、すなわち意味付けをすることであると言われる。前回触れたように、ある刺激を(感覚的に)知覚し、認知したということは、その刺激を過去の保存データ[記憶]と照合作業を経て、“反応”できる状態としての意味付けがなされたのであれば、意識していると考えられる。同時にそれは、(言語的意味付けによる)自覚、思考、判断という能動的[積極的]反応が可能な状態であるということを考えれば、(潜在的に対する)顕在的意識としても捉えることができよう。そして、連続する知覚や認知による保存された「記憶」、すなわち、”反応の定着”が得られた状態が無意識ということになろう。それは同様に、潜在意識とも言えよう。つまり、前回残しておいた「意識にのぼる」とは、外界の刺激を(感覚的に)知覚し、記憶の照合作業を経て認知した事象[現象]に能動的[積極的]反応としての自覚、思考、判断等が発生する状態と言えるのではないであろうか。■

 

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