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交通機関の復旧が絶望的であることはすぐにわかったので、旧甲州街道沿いにひたすら歩いた。同様の考えの方が多くおり、自分のペースで歩くのもままならなかった。多摩川をこえた聖蹟桜ケ丘駅付近で、高尾山口行きの京王線が動いているのが見え、駅にむかった。すぐに電車が来たので乗り込んだ。正直安堵した。4時間程度は歩いただろうか。。
午後11半ごろに勤務先と研究室の状況を確認しに行くと、“帰宅困難者”となった教職員と学生が会議室等で寝泊まりしていた。研究室のある棟は改修工事があったばかりで問題はなく、研究室の書棚も耐震用に固定していた。ただ、机の上などにあるプリント・書籍類は床に散乱していた。
それらを片付けてから帰宅した。自宅も落下物などないようであった。
さっとシャワーを浴びてから、眠りにつこうとしたが、なかなか寝つけなかった。
やはり、今回と同レベルの地震が東京神奈川を含む想定震源域を直撃する、いわゆる“東海地震”が発生した場合を考えてしまう。あくまでも個人的な体感ではあるが、地震対策などというものは、(もちろん大切ではあるが・・)あのような自然の力を前にしては、ほとんど意味をなさないような気がした。地震の“力”というものは人知を超えたものと言わざるをえない。
昨晩も静岡東部で震度6強の地震があった。福島原子力発電所の正常化も見通しが明るくない。
“情報”は錯綜し、“無”計画停電、交通機関の混乱、買占め、ガソリン不足・・・“社会”の機能は著しく不安定になってきているようだ。
・・・ここ数日は落ち着いて考え、書くという気にはなれない。それでもあと数時間後には、太陽が昇ってくる。