2013年12月1日日曜日

日英言語文化小論(22)【もてなしとhospitality】



■今年の流行語の1つに「お・も・て・な・し」があげられ、しばしばメディアでも取り上げられている。東京五輪招致で見られた中丸付のものではなく、本来の「おもてなし」は、「持て成す」に、丁寧語の接頭辞「お」が付いたものだ。「持って」、「成す」とは、「(あるモノ、コトを)する、扱う」といった意味である。また、「表裏なし」という含みもあるようだ。こうした意味概念をもって、「(他者に対して)(表裏なく心から)接する」という意味が醸成されてきたものと考えられる。
 一方、和英辞書では「もてなし」の英語相当語としてhospitaityが取り上げられることが多い。そのhospitalityは、1) friendly and generous behaviour towards guests、2) food, drink or services that are provided by an organization for guests, customers, etc....(Oxford Advanced Learner's Dictionary)とある。 1)では、客に対する行為が含まれるということである。2)は、(消費者に対する)飲食サービスが内包されている。実際、英語文化圏的発想のserviceとは、「・・・個人や社会に対する「奉仕」、コミュニケーションを主とする「接客」が原義であり・・・公共のために何かを尽くしたり、他者に役に立てるような行為を実践したりするのがserviceなのである」(『100語で学ぶ英語のこころ』、p.88.)とある。こうした点から、serviceを意味成分として含意するhospitalityには、他者が喜んだり、心地よく感じたりするような、(しばしば)可視的な行為の実践が、その中心的意味概念のように考えられる。
 しかしながら、「(お)もてなし」は、必ずしも可視的な行為の実践がすべてではない。例えば、
モノを大切に扱うことや、大事にしまうことを、文化にまで高めたのが礼儀作法や茶道、華道であり、裕福な階層の人が身につけるべき教養の1つでもありました。」
(「挫折しない整理の極意」松岡英輔著、新潮社、2004年)
にあるように、日本文化(の美徳)にまで高めた礼儀作法としての茶道では、(ある意味)可視的ではあるが、しばしば見落としがちな部分にも「心入れ」や心配り」がなされている。履物が踏み台から離れていれば、ほんの少しだけ(客の方へ)傾けること、 夏の暑い日であれば、縁高菓子器などの蓋上に数滴水を落とすこと、寒い冬であれば、なるべく冷めないように、(薄茶であれば)いつもよりさっと点てるようにすること、などうっかりすると気が付かないような気働きはたくさんある。
 このように、他者に対して明確で、可視的な行為を主とするhospitalityに対し、(時に)見落としがちだが、他者にとっては心地よいことを含む対応も大切な要素となっているのが「(お)もてなし」ということになろう。話は戻るが、メディアで注目された五輪開催地決定のIOC総会での(個人的には)不自然に感じた東京のプレゼンターの笑顔だけが「お・も・て・な・し」ではないのだ。むしろそうした笑顔は日本文化的には苦手とする方が多いだろう。無理に欧米的なhospitalityの実践としての(つくり)笑顔をすることもないように感じる。大切なのは上述したような(気が付かない、(時に)不可視的かもしれない)「心入れ」や「心配り」を”それとなく”伝えることである。そして、そうした「心入れ」などを”それとなく”伝えることも日本文化的な「(お)もてなし」の構成要素であるということを知って[共有して]もらうことも必要だ。特に、言語に依存する低コンテクスト文化と分類される欧米諸国の方々であれば、こうした点を理解することは容易いことではないであろう。だからこそ、国際交流というものは難しく、且つ興味深いのだ。■



 

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