2012年11月12日月曜日

真[深]の国際交流とは


■本日勤務先で顧問を務める茶道部も参加した学校茶道の合同茶会があった。その茶会に、勤務先の同僚教員が参加してくださった。氏は外国語が堪能で、日頃から国際交流等に尽力されておられる聡明なお人である。また、人格者であり、学生、教職員、保護者を問わず、周囲からの信頼も厚い。
 今回の合同茶会では二席しかまわることができなかったが、終了後、有意義な時間を過ごされたというご連絡をいただいた。氏曰く、表層的な所作のみならず、その背景にある(深層の)意味、概念、哲学等に強く魅せられたということであった。まさに同感である。そもそも筆者が茶の道を志した要因の一つが、点前の所作や道具の意味を通訳する際に、茶の道とその根底にある日本文化(の本質[源流])の理解なくしては的確な伝達はきわめて困難であると感じたからであった。この点は、氏が指摘するように、茶道と深層の日本文化に対する関心に通ずるものであった。
 もちろん、茶道は日本文化のすべてではないし、本流と断定することもできないであろう。それでも、茶道を介して伝承される“こころ”は、日本や日本人の“こころ”を映し出しているように強く思う。 これは、氏や今日参加された未来の伝承者としての学生がこうした“こころ”に共感し、茶の道に安らぎと喜びを感じ、心穏やかな時間と空間を体感しているということにほかならない。氏やこうした学生を見る限り、茶道を介した日本文化の伝承が、「アニメ[マンガ]」や「ゲーム」が海外メディアの注目を集める昨今、日本と諸外国との相互理解、すなわち、真[深]の国際交流の一助であり続けるということを、これからも期待してよいと思う。
 個人的には外国文化教育、とりわけ英米文化偏重の用例やトピックを配するテキストを使用した外国語教育とそれを根拠とする国際人の育成には否定的である。そはそれで、海外留学を検討している学生等には(それなりに)有用であろうが、それでも、留学先で日本(文化)と日本人について意見を求められることが必ずある。まずは、日本(文化)と日本人を十分に捉えた、いわば外国語による日本(文化)教育というものを日本語による教育と併用して実践するべきであると考える。諸外国と外国語を理解するためには、しっかりと母国である日本(文化)と母語である日本語を身に付け、日本人としてのアイデンティティを確立し、それを認識するべきであろう。自己が何者であるかも適切に理解し、説明できない者に対して、(諸外国の)他者は決して信頼しないであろうし、相互理解などというものはそれこそ不可能であろう。
 筆者の考える真の、深の国際交流とは、日本(文化)と日本人を理解した上で、諸外国との同質性や異質性に気を配りながら、歩み寄っていく、ということである。その意味で、日本(文化)と日本人の“こころ”の一端として茶道を介した日本(語)教育と、それをふまえた外国語および外国文化教育というのは効果的であると考える。今後は、茶道をきっかけに、書道、折り紙、武士道・・・まだまだ日本らしいモノやコトはある、日本人として、日本で生活する者として、日本をふまえた国際交流というものにぜひ取り組みたいと思う。■


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