2012年10月29日月曜日

【再投稿7】Gruss Gott !!



Gruss Gott !!

先日、オーストリアへの海外出張から帰国した。
アメリカ偏重気味の自分にとって初めてのヨーロッパであったので、非常に興味深い出張となった。オーストリアはドイツ語圏であるが、皆英語を流暢に話す。 少なくとも、こちらの言う事は100%分かってもらえる。今回の目的は、南部の中都市・クラーゲンフルトにあるエンジニア系の学校と協定を結ぶための表敬 訪問である。英語が外国語であるということに変わりはないので、相手校の様子を見ることで、我が国の英語教育の問題点を探るいい機会になるかもしれない。 そこには3日間滞在し、1日目の午前はオーストリアの教育体制、2日目の午前には日本の教育体制等を議論し合った。それぞれの午後には授業を見て回った。 おそらく準備をしていたようで、教員も学生も東洋からの訪問者に驚くことなく、落ち着いて対応してくれた。(今度は“実状”を見たいものだ)3日目には近隣 にある第2、第3の学校を訪問した。特に第3の学校は狩猟用の銃製作で世界的に有名なところで世界各地から留学生が学んでいた。また、一生に一度になるで あろう実弾を撃つ機会を得た。思った以上の衝撃で、あらためて銃の怖さを考えさせられた。
ところで、協定予定先の学校では、皆きちんと挨拶をしてくれた。そこでよく耳にしたのが、“Gruss Gott”(uはウムラウト、ssはエスツウェット)であった。英語で言うHelloにあたるそうだ。たとえベンチで座って勉強や、おしゃべりをしていた としても、我々が通るとそう言って挨拶してくる。日本では、廊下をすれ違うときであっても「こんにちは」と言ってくる学生が減少している中で、ちょっとし た驚きであった。しかも皆目を合わせてくる。文化の違いもあろうが、やはりどこを見ているのかわからないで挨拶されるよりは良い。コミュニケーションをと るということは日頃の習慣や日々の環境によって大きく影響されるものなのだと強く感じた。外国の人とコミュニケーションをとりたいからといって、外国語学 校に通ったとしても、語学だけではカバーできない一面もあるということであろう。外国語を学ぶということは、単に「コトバ」としてそれを学ぶだけではな く、それを取り巻く環境、すなわち「文化」を知ることであるということを実感した。
Posted by sekine at 21:40(2005年4月9日)

2012年10月28日日曜日

和敬清[静]寂


■昨日、本日と本務校の学園祭が行われた。顧問を務める裏千家茶道部も茶席を設け、学生部員が日ごろの稽古の成果を披露した。特に稽古期間の短い新入部員の堂々たる点前には、外部講師の先生とも驚きを隠せなかった。若い学生の習得力は本当に素晴らしいものだ。
 そうした中、本務校と産学連携を締結している地元金融機関の方から、「和敬清寂」について質問を受けた。筆者も茶道に携わる身としてその意味は理解していたが、その由来に対する認識は十分ではなかった。最初は仏教[禅宗]の教えであり、日本文化を投影するものである、という回答をさせていただいた。必ずしも茶道の教えというわけではない、ということも付け加えた。ところが、外部講師の先生に確認したところ、 千利休の教えである「四規七則」に基づくものであり、利休居士が唱えた茶道の心であるということであった。確かにその通りである。個人的には茶道の精神の礎には仏教[禅宗]があり、その仏教[禅宗]の普及とともに、茶道も広がり、1つの“道”として確立されてきたのであろうという理解であった。つまり、茶道理念としての「和敬清寂」の背景には、仏教[禅宗]があるという意識が強すぎたのかもしれない。そこに、上述したような「和敬清寂」は茶道の教えだけではない、という不適切且つ軽率な回答をしてしまった原因があったのであろう。
 再度確認するが、茶道は仏教[禅宗]の心の持ち方と強い関わりを持ちながら発展し、利休居士によって和(周囲と調和し)、 敬(相互に敬い礼を尽くし)、清(心清らかに)、寂(心穏やかに動じず)という茶道の心得四則が提唱され、これが茶道の基本精神になった、という理解で良いであろう。幸い、質問された方と学内でまたお会いでき、名刺交換する機会が得られたので、あらためて先の失礼な回答をお詫び申し上げた。こうしたことも茶道を通じた1つの“ご縁”かもしれない。あいにく小雨が降り続いていたが、心の中は清らかな1日を過ごすことができた。外部講師の先生、学生諸君、歩み寄って質問してくださったT氏、ご来場してくださったみなさまに感謝する。■

 ※平成24年度学園祭出展・裏千家茶道部茶席(御園棚)

2012年10月21日日曜日

sign, autograph, and signature


■日本人学生が間違えやすい語の1つにサインがある。頻出する事例は、有名人に対する「サインください」や、入室や支払いチェックの際の「サインお願いします」等の「サイン」である。通例サインはsignという英語に由来するものと考えられるが、カタカナ語としてのサインは、上述したように複数の場面で用いることができる。しかしながら、英語では場面に応じた単語を用いることになる。まず、有名人に対する「サインください」は、autographを用いて、"Can I have your autograph?"等と言う。また、入室や支払いチェックの際の「サインお願いします」は、signatureを用いて、"Put your signature here, please?"などと言える。それでは、英語のsignはどのような場合が多いであろうか。一般的にはtrafffic sign(s), caution sign(s), stop sign(s), closed sign(s)のように、公に(不特定多数を対象に)何らかの情報を周知する目的で用いられるものに対しsignが使われる。つまり、signは共通のメッセージを含む記号や符号のようなものと考えられる。ちなみに、手話も英語ではSign languageという。こうした点から、個人を対象にしている上記2つのサインの事例にsignが不適切であるということは明らかであろう。
 それでは、autographとsignatureの違いは何であろうか。いずれも個人の署というニュアンスは感じ取れるであろうが、そこには幾分か差異がある。まず、autographはauto「自の」とgraph「書いたもの」が結びついたもので、現代社会ではほぼ有名人の自筆の署、つまり「サイン」という意になっている。それに対し、signatureは手書きによる自分の名前ということで、しばしば公の書類上に記名することを指す。つまり、autographは限定的にある特定の人物の自署であり、signatureは他者と区別し、人物を特定するための公的なニュアンスを含む自署、ということになろう。なお、signatureは「他者と違う、その人特有の・・・」という意で特にスポーツの世界で用いられることが多い。例えば、"a signature player"と言えば、あるチームの「看板選手、顔」ということである。また、"signature play"と言えば、ある特定の選手の「お得意の[その人らしい]プレー」ということになる。さらに"signature moment"であれば、「(最も)印象的な瞬間[時]」となる。■

祥風


■今日もさわやかな秋晴れが広がっている。とても気持ちがよいものである。この季節、茶の湯の世界では、「祥風」という銘をあてることがある。「祥」にはよころばしい(こと)、よろこばしいことの前ぶれ[兆し]、という意味がある。つまり、「祥風」とは、「よろこばしい(ことの)風」もしくは「よろこばしいことを運ぶ風」といったところであろう。(他の例として「不祥事」とはまさに「よこばしくないこと」ということ)
 茶道ではまもなく炉の季節となり、一般的にも慶春を迎える準備を始める頃となる。日本と日本の文化観を伝えるにふさわしい言葉の1つである。個人的にも好きな言葉であり、この季節の銘の1つとして選ぶことにしている。
 来週から勤務先で学園祭が催されることになっている。顧問を務める裏千家茶道部も茶室を設ける予定である。今回は正座に慣れていない方にも茶道の雰囲気を楽しめるようにと考案された立礼という座って行う点前となり、御園棚を用いる。日ごろ賑やかな学内の一室を借りてそこに茶室を設置するわけであるが、この時ばかりは、学内に「祥風」が流れているように感じるのは、筆者だけであろうか。■

 ※参考画像:御園棚(商品購入サイト画像)

2012年10月15日月曜日

日本メディア英語学会第2回(通算第54回)年次大会終了


■先週土曜日、無事日本メディア英語学会年次大会が盛況裏に終了した。秋晴れにもめぐまれ、自然と都市が共存する幕張の地で、実り豊かな1日を過ごすことができた。学際色あふれる研究発表、現職ジャーナリストによる基調講演等、予定されていた内容が滞りなく遂行されたのも、大会運営委員長をはじめ、学会関係者各位のご尽力の賜物である。本当に感謝の気持ちでいっぱいである。今回、大学教員を中心とする“プロの英語(関係)の先生”に交じって、開催校の学生による研究発表も行われた。その1組を拝聴させていただいたが、よく鍛えられていた印象をもった。本務校でも同年代の学生を指導しているが、彼らのようなプレゼンテーションスキルを得るには、あと数年は必要に感じた。つまり、そのぐらいの差があった、ということである。指導者的視点からも、学生による発表は良い刺激となった。さらに嬉しいことに、発表学生のうちの一人が終了後に挨拶に来てくれた。特に気のきいたコメントをしたわけではなかったが、歩み寄ってひと言挨拶ができる若者が少なくなってきている昨今、とても感じの良い学生であった。彼に明るい未来を感じた。来年は、関西地区での年次大会が予定されている。関東地区の学生とはまた違った若者の知のエネルギーが感じられるかもしれない。楽しみである。■

 【幕張より朝富士を望む】

2012年10月8日月曜日

若さと勢い


■先日勤務先で自主トレーニング中に、同グラウンドで正規授業をおこなっていた同僚教員にお声をかけていただき、急きょ、学生と一緒に授業を受けることになった。現在の実技課目はサッカーで、5対5のミニサッカーに混ぜていただいた。左足骨折後、リハビリを兼ねたトレーニングもそろそろ3カ月となり、その仕上げとしては良いだろうと考え、参加することにした。体のキレや膝、そして左足の骨折部の復調具合を知るにも適当であろうと思った。
 いわゆる一般学生とのプレーであり、サッカー経験者不在の中でのサッカーのため、特に危険性は感じなかったが、「若さ」と「勢い」は感じ取られた。間違いなく、瞬発力や体力はまさに青春真っ只中の彼らには及ばないであろう。ボールをキープすると、がむしゃらにボールを取りにくる姿勢に、そのあたりを体感することができた。何だか久しぶりの感覚に、少し嬉しい気分になった。
 チームメートに恵まれ、結果的に(授業の一環のため、勝負は関係ないが)勝ち点で1位となった。自身のプレーも、リハビリ最終テストやスニーカーシューズ着用、そしてふたまわりも違う、息子といっても過言ではない年頃の学生相手という条件にしては、十分なものであった。それでも、判断力やポジショニング等を修正する必要性が残っているが、それもこれから実戦を重ねていくしかないであろう。加齢とともに、肉体だけでなく、そうした部分がかなり衰えているのを感じた。
  そして、学生がむかってきてくれたように、息子とサッカーボールを蹴る日を想像しながら、(加齢とも格闘しながら)体調を維持していきたいということを、終了後シャワーで汗を流しながら感じた。その日を夢見て、引き続きトレーニングを継続していきたいと思う。■


追記:継続しているダイエットであるが、2カ月程度でBMIが(理想値と言われる)22に戻り、安定してきた。体脂肪率は日や計測時間によって変動はあるが、標準値内後半におさまっている。 これを標準値内前半にまでに下げたいと思う。折しも今日は「体育の日」。英語的には、"Health and Sports Day"と言う。秋晴れの中、各地で運動会が行われたようだ。日頃運動不足を感じておられる諸氏も、スニーカーの紐をギュッと締めて、外に出てみてはどうであろうか。。。

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