2012年3月1日木曜日

恋愛小説家的accountability

先日映画館に足を運んで見たわけではないが、テレビでは放映のたびについ見てしまう映画の1つである「恋愛小説家」(原題As Good As It Gets)を見た。ひとくせも、ふたくせもある、売れっ子小説家(ジャック・ニコルソン)が、行きつけのカフェの給仕(ヘレン・ハント)との恋愛を成就させるという、想像に難くない内容のものである。その中で、興味深いセリフがあった。ファンらしき女性が主人公の小説家に、どうして小説の中で女性の気持ちを的確に理解できるのか、という質問をした際に、彼は次のように答えている。
“I think of a man and take away reason and accountability.”
「まず男性について考え、それから理性と責任を取り除くことだ」
こんな感じの意味であろう。本映画の設定上、主人公はかなり偏屈な中年男性であるので、女性に対しても相当な偏見をもっているということをふまえての一節と言える。これをまともに公言すれば、いたるところから(特に女性保護団体等)叩かれるのは明白である。
ここで話題にしたいのは、accountability=責任(?)ということである。インターネット上で、accountabilityresponsibility、違い、などで検索すると結構な件数が表示される。多くの方が両者の差異に学問的関心があるのだろう。その両者の違いについて、responsibilityが単に「責任」であるのに対し、accountabilityは「説明責任」という意味があてられることが多い。この点について、『アンカーコズミカ英和辞典』(学習研究社)のそれぞれの項の解説が詳しいので部分的に引用してみたい。
responsibility
responsibilityとは人として規範に沿って道徳的に行動することをいう。・・・一方、英語圏の人々の場合には、集団内部においても、何よりも自分の責任範囲を明確にし、その責任や任務を果たそうという意識が強く働くのが普通である。・・・”
accountability
“・・・責任を十分果たさなかった場合、きびしい報い[]を受けることも意味する重いことばである。これはキリスト教でいう、give an account before God(神の前で申し開きをする;最後の審判の日に、現世でどう生きてきたかを説明してそれに応じた神の審判を受ける)につながっている。”
また、『スーパーアンカー和英辞典』第2版(学習研究社)の「責任」の項では、
【せきにん;責任】
“・・・accountability(自分の言動について釈明し正当化すること)・・・”
とある。こうした点を参考にresponsibilityaccountabilityとの差異について考えてみると、ざっと次のようになるであろう。一般的に、社会や周囲との関係性の中で発生する言動について果たすべき務めがあるような場合がresponsibilityであり、社会(文化)的規範に沿って道徳的に行動することが求められていると言える。一方、(Godとのタテ関係の中で)(必然的に)備わっている(べき)(人としての)基本的本質の1つがaccountabilityであり、自己のおこないの正当性を整然と(社会、そしてGodに)釈明[説明]することが求められていると考えられよう。したがって、responsibilityとしての責任には、ある言動に対する果たすべき務めの範囲が明確にされ、時に他者に移動可能な流動性があるのに対し、accountabilityとしての責任は自己のおこないに対して本来的に負っている、他者に移動できない特異性があると言える。(前者を内的、後者を外的と分類する見方もあるようだが、個人的には馴染まない考えである)
これをふまえて、上掲した映画のフレーズを再考すると、“I think of a man and take away reason and accountability.”「まず男性について考え、それから理性と責任を取り除くことだ」ということは、「男性には理性(reason)と責任(accountability)が備わっており、(すぐに)感情的にはならず、筋道を立てて冷静に物事を考え、判断する論理的思考に優れ、それゆえ、(自己のおこないの正当性を(Godの前であっても)整然と釈明するという)(責任)能力を有しているが、女性にはそれらが欠けている、、、という女性を揶揄した(英語文化圏的)意味内容と捉えられなくもない。このような解釈を試みると、批判のほこ先が筆者に向かってくることが危惧されるが、これはあくまでも映画の主人公で、misanthrope(人間[大衆]嫌い)なMelvin Udall氏の視点から考察しているということをお忘れなきように・・・。

*もっと真剣にresponsibilityaccountabilityの差異を考えてみたい方にとっては、アカウンタビリティーをキーワードに、責任概念について法哲学的アプローチを試みた下記研究論文は大いに参考になるであろう。
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/metadb/up/LIBOSIPPK/26-01_n.pdf
**「お忘れなきように」の用法については、こちらを参照されたい。http://blog.livedoor.jp/yamakatsuei/archives/51762983.html


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