2012年9月4日火曜日

老いる


 「老いる」などというタイトルにすると、何か「死」を付帯的に連想されるだろうが、英語では、単に"get old(er)"や"age"(動詞)などと表現するであろう。つまり、1歳の幼児が2歳になっても、10歳の少年が11歳になっても、23歳の青年が24歳になっても、55歳の壮年が56歳になっても、皆一様に"get older"であり、"age"なのである。もっとも、"age"には、「熟成する[させる]」や「枯らす」、「ふける[老けさせる]」など、生あるものの後半以降に意味的な焦点をあてることがある。その点において、"age"は、日本語の「老いる」に近いニュアンスであろう。
 日本語母語話者の多くは、「老いる」に「死」が付帯するであろう。つまり、「老い」ながら、歳を重ねるその延長線上に「死」があり、その「死」というものを意識する、ということである。「老いる」ことは、これまでできたことができなくなったり、体の一部に障害が発生したりする、ということを顕著に感じる時である。それが「死」への兆候と判断してしまうのであろう。
 このように考えると、1本の水平線を描き、左のendを誕生、右のendを死として生あるものの一生を具象化した場合、(あくまでも筆者の直感ではあるが)"age"はその線の3/4以降を、「老いる」は5/6以降ぐらいをその意味的対象にしているような印象を受ける。やはり、「老いる」の方が右のend、つまり、「死」に近い位置付けになろう。
 筆者も「老いる」を感じた。すでに本ブログでも取り上げたように、昨冬不注意にも足を骨折してしまった。人生初の骨折である。これまで一度も折ったことのない自分の骨が折れたことにより、骨の劣化[老化]が起きているのではないか(いや、確実に起きているであろう)、そうした悲観的な意識が心の中で醸成されていった。これこそが負の感情である。折れた足の痛みなどよりも、数倍、いや数十倍にこの心の痛みの方が辛かった。
 いまでは、時折患部周辺が痛むものの、完治したと言えるであろう。弱った筋力を回復するためのトレーニングも始めている。そして、トレーニング中に強く感じたことがある。それは、主に筋力回復のためにトレーニングを開始したのだが、いまではこれまで以上に強くなりたい、そして健康であり続けたい、ということを意識するようになったのである。これはおそらく、守るべき存在がある、筆者の存在とその健康を願ってくれている存在がいる、という意識が筆者の心の中で(ふたたび)芽生え始めてきたからであろう。20代、30代の頃は、強く、健康であることが当たり前で、意識する必要性すらなかった。それが40代となり、骨折を機に「老いる」を目の当たりにし、「死」ではなく、「強さ」や「健康」を明確に意識するようなったという心の変容である。ある意味、それは「心の進化」とも言えるのではないであろうか。来年もまた、1歳[年]、「老いる」ことになるが、もうひとつ[本当]の「老いる」を感じるその時まで、いつまでも「強さ」と「健康」を意識し、守るべき存在のために「生」を求め続けたいと思う。



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