2014年2月23日日曜日

日英言語文化小論(25)【牛乳とmilk】



■先週の大雪で、筆者の生活圏は大変な状況になっている。今週末やっと天候が落ち着き、物流も安定してきたものの、除雪等、まだまだ復旧対応に追われそうだ。そうした中、近隣のスーパーでは、いっとき牛乳や食パンが商品棚から全くなくなっているという状態になっていた。数年前の震災時を想起させるものであった。ここ数日は徐々に供給がおいついてきているようだが、こうした大雪でこれだけの変化が生じるということは、ここ数年警戒されている東海地震発生時には、どのようなことになってしまうのか、本当に心配だ。たまたま筆者の生活圏では、発生しなかったが、一部の地域では停電によるさまざまな障害にみまわれたようだ。これだけ近代科学が発達したと考えられている現代社会においてもこのような混乱になるということは、いにしえの人々が自然に対して畏敬の念をもって接したことを、あらためて考えさせられる。
 ところで、今回すぐに供給不足となった牛乳であるが、通常の商品棚であれば、多くの種類が陳列している。それでも、「牛乳」と表示できるものには、きちんとした決まりごとがある。大別すると、次のようになる。

「牛乳」:成分無調整で、無脂肪乳固形分8.0%以上、乳脂肪分3.0%以上のもの
「低脂肪牛乳」*:乳脂肪分のみを調整し、乳脂肪分0.5%以上1.5%以下のもの
「無脂肪牛乳」*:乳脂肪分のみを調整し、乳脂肪分0.5%未満のもの
 *「成分調整牛乳」という括りになる。
これらは原材料が生乳100%であるが、それに対して、「生乳」、「牛乳」、「特別牛乳」、「成分調整牛乳」、「低脂肪牛乳」、「無脂肪牛乳」、「乳等省令で定められた乳製品の一部」のうちいずれかが原料となるものに「加工乳」がある。
「加工乳」:無脂肪固形分8%以上であれば「加工乳」と呼び、(それ以下で)含まれる無脂肪固形分の割合により「低脂肪乳」「無脂肪乳」に分類されるもの

確かに、つい値段で判断して購入してしまうと、実は「牛乳」のつもりで買ったものが、「低脂肪乳」という「加工乳」であったり、「乳飲料」**であったりというようなことがおこりうる。
**「生乳」、「牛乳」、「特別牛乳」、「成分調整牛乳」、「低脂肪牛乳」、「無脂肪牛乳」、「乳製品」、のいずれかを原料とし、他にカルシウムや果汁等を加えたもの

 筆者が大学院時代に過ごした米国中西部のスーパーマーケットKrogerでは、FDA(全米食糧医薬品局)の規制に基づき、milkは以下のように大別されている。

whole milk:no less than 3.25%(乳脂肪分3.5%程度のものが多い)
low-fat milk:0.5-2.0%(いわゆる低脂肪牛乳。通例乳脂肪分1%程度のものを指す)
reduced-fat milk:2.0%(一般に乳脂肪分2.0%のものを指す)
skim milk:less than 0.5%(fat-free/non-fat milkに同じ。つまり無脂肪牛乳)

 上掲の日本の「(成分無調整)牛乳」に相当するのが、"whole milk"ということになるが、確かビタミンDが添加されていた記憶がある。当時は意識していなかったが、日本的成分無調整というものがあまり(ほとんど)なかったような気がする。もっとも、ほとんどの方はlow-fat, reduced-fat, skim milkを買っていたと思う。ただ、それだけ脂肪分を気にするのであれば、ハンバーガーやフライものの摂取を制限すればよほどいいと思うのだが。。。

 実際、牛乳はカルシウムやたんぱく質が含まれ、基礎代謝の維持という点から、(英語文化的な)ダイエットに効果的であると思う。それでも、飲みすぎはよくないであろう。ちなみに筆者は低脂肪”牛乳”のほか、(無調整)豆乳を積極的に摂るようにしている。いまのところ、健康上は効果的に作用しているようだ。■


 Kroger Reduced-fat milk (2%) *Gallon(約3.8リットル)サイズがアメリカ的



2014年2月16日日曜日

日英言語文化小論(24)【ちゃんと感】



■本ブログ「日英言語文化小論(22)」で「・・・このように、他者に対して明確で、可視的な行為を主とするhospitalityに対し、(時に)見落としがちだが、他者にとっては心地よいことを含む対応も大切な要素となっているのが「(お)もてなし」ということになろう。」という点に触れたが、今日テレビの旅番組のようなプログラムで、来日して10年以上となる外国人ディレクターの方が、日本のもてなしに対する評価として「日本はいろいろなことがちゃんとしている」というコメントをされていたのが印象的であった。もちろん、非日本語圏出身の方の評価表現であるので、その方の語彙の問題もあるだろうが、日本のもてなしが「ちゃんとしている」という点には共感できる。これは、先述の筆者の「見落としたがちだが・・心地よいこと・・」ということと相似的な見解と言えよう。筆者自身の体験でもそうであるが、英語文化圏、特にアメリカでの生活におけるさまざまなモノのつくりこみやヒトの対応は、日本的に見ると粗い。最初の異国の地となる空港内においても、トイレなどのドアは問題なく開閉するが、いわゆる建付けは甘い(と多くの日本人は感じるであろう)。また、トイレットペーパーの質も(超一流のホテルは除き)一昔前のわら半紙のようだ。さらに、(手洗いの)蛇口のパッキンが甘いのであろうか、水がボタボタと垂れていることもよく見かける。その点、日本の成田空港や羽田空港では、そのようなことはほとんどない。ドアは建付けがしっかりしているだけはなく、閉まる時の音も静かだ。これも他者への配慮ということであろう。つまり、上掲の外国人ディレクターの指摘するように、すべてが「ちゃんとしている」のだ。仮にこうした点を(稚拙ではあるが)「ちゃんと感」とするならば、日本の「もてなし」には「ちゃんと感」という意味成分が内包され、hospitalityとの差異の1つになると考えられよう。なお、「ちゃんと」は、コンテキストに応じて英語表現は使い分ける必要があろう。例えば、モノの動きやつくりこみであれば、properly, correctly, neatlyなどが適当であろう。ヒトの対応であれば、properlyやneatlyのほか、場面によっては、politelyやcarefullyなどでもよいであろう。
 このように、日本が世界に誇れる「もてなし」には、こうした「ちゃんと感」、「きちんと感」というようなものがあり、これらはhosipitalityより優位意味成分と言えるであろう。その意味で、筆者は(言語文化的には)「もてなし」≠hosipitalityと考える。■


2014年2月14日金曜日

日英言語文化小論(23)【バレンタインとValentine】




■過日立春の雪を話題にしたが、先週に引き続き、今週末も大雪だ。(自然)環境の変化に筆者も含め、近隣一帯は対応に追われている。しかも勤務先では入試も控えており、迅速且つ適切な除雪作業等が求められる。頭の痛いところだ。
 そうした中、通常の学生諸君、とりわけ男子学生は、今日214日をそわそわと過ごしたことであろう。一般にバレンタインデーと言われ、その起源は3世紀、時の皇帝Claudius IIが治めていたローマ帝国にまでさかのぼる。一説には暴君とまで呼ばれたClaudius IIは強固な軍隊の構築を目指したが、家族や恋人の存在が兵士の士気に影響することを懸念し、婚姻を一切禁ずる法律を発令した。そうした中、Valentine司祭は、何人も(人を)愛する自由が侵されるべきではないという信念を貫き、秘密裏に婚姻の儀を執り行い続けた。ところが、ある日その事実が発覚し、囚われの身となってしまった。そして、Claudius IIは、彼をキリスト教からローマ神教へと改宗するよう命じたが、それを拒んだことにより、Valentine司祭は投獄されてしまった。その後、彼に仲をとりもっていただいたカップルを中心に多くの若者が面会に訪れた。その中に、看守の娘で盲目の女性がいた。彼女は収監中のValentine司祭を励まし、精神的に支えたのだ。その姿勢にValentineも彼女(の目のこと)を祈り続けたのであった。そしてついに奇跡がおき、彼女視力を取り戻したのであった。
 Claudius IIの命令に背き続けるValentine司祭に、ついに死刑が宣告され、214日がその日となった。処刑当日、Valentine司祭は、彼女に最後の手紙を宛てたのであった・・最後に"From your Valentine"という署名を遺して。これこそが、バレンタインデーのはじまりである。こうして最後まで真実の愛とそれを享受する自由が何人にも与えられるべきだという信念を貫いたValentine司祭をたたえ、彼は愛守護聖人として今日に至っている。つまり、214日のバレンタインデーは、愛のために殉教したValentine司祭の命日なのだ。そして、大切な人にメッセージを伝えることが重要なのである。単チョコレートをわたす日などと考えるだけではなく、こうした歴史をふまえ、ホワイトバレンタインとなった214日を過ごしてほしいものである。そして、いまからでも大切な人に"From your Valentine"のメッセージを送ってみては(現代は送信か・・)どうであろうか。なお、より親密特別人(になってほしい方)であれば"Be my Valentine"という表現もある。なお、チョコレートを贈るという慣習は日本発祥とされており、1936年神戸の老舗洋菓子店モロゾフの新聞広告がきっかけと言われている。欧米では、Valentine's Day Cardを中心に、本や花を贈るという習慣をよく聞く

※以前本ブログでも触れたが、英語(文化)圏と比較し、日本(語文化圏)がコンテキストに依存する高コンテキスト言語文化圏であるとするならば、チョコレートや類似の菓子類に愛のメッセージ性を内包させるという姿勢は十分理解できよう。


2014年2月4日火曜日

春浅し


■暖かい陽気の中、昨日は節分であった。ご存知のように、節分とは季節の節目[変わり目]であり、現在では立春の前日を指すようになっている。かつて季節の変わり目には邪気が入りやすいという見方があり、それを追い払うために宮中行事の名残りとしての豆まきが普及したと考えられている。筆者は、節分を迎えると、すぐに入試、卒業式と続き、新学期の準備に追われながら、気がつけば桜開花のニュースとともに入学式の案内が入る、という感覚をもっている。筆者にとっても、まさに節分は春に結びつく節目の時間なのである。
 ところが、今日昼過ぎから勤務先一帯が雪に覆われたのだ。その時間はそれほど長いものではなかったが(夕方には落ち着き、明日の朝にはさほど残っていないであろう)、ここ数日の暖かさとは一変した様子に、ちょっとびっくりした。「春浅し」とは、今日のような1日の思いにあてる季語として用いてもよいであろう。■

白き皿に絵の具を溶けば春浅し

夏目漱石


立春の空や木の芽と、春色が整わない様子が感じられる。



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