2011年11月13日日曜日

Culturomicsから言語文化解析学へ

検索サイトで有名なGoogleが英語とドイツ語の文献をデータベース(コーパス)化し、そこからあるキーワードを抽出することで、政治経済から社会文化の潮流までを探ろうという試みを行っている。これは、コーパス言語学的アプローチにみられる定量分析の一種と考えられ、コーパスに関心のある研究者であれば、その有用性は理解できるであろう。英語では、"Culturomics"と呼ばれ、文化を意味するcultureと経済政策などを表す後置要素-nomicsとが連結してできた造語である。メディア等に投影される社会現象の中で、文化的特性を探るのがcultural sociologyと呼ばれる分野であるのに対し、社会の変遷は言語記述によっても観察できるという立場のもと、膨大なテキストのデータベースから文化(の一端)を数値的に解析しようとする新しい学問分野と言える。こうした点から、文化社会学(cultural sociology)、文化経済学(cultural economics)、カルチュラル・スタディーズ(cultural studies)と明確に区別して、Culturomics言語文化解析学という表現をあててみたい。単に文化解析学という表現でも、その内容を反映するものと言えよう。

2011年9月12日月曜日

合掌

ちょうど100日前、私はかけがえのない“人”との(現世における物理的な)お別れをした。
本ブログもその1週間前にアップロードしたままであった。
その時は、現実の時間と空間をまったく認識することができず、その“人”ともう直接会話をしたり、食事をしたり、笑ったりすることができないということがピンとこなかった。公的機関等への事務的な手続きや連絡をし、葬儀を執り行う中で、少しずつその“人”が視覚的、物理的には存在しないという現実を感じるようになってきた。

大切な人とのお別れを経験したことのある方であれば理解できるであろうが、大切な方を愛している人以外の時間や空間は、これまで自分が過ごしてきたそれらと何ら変化はないのである。
・・・そして、見上げれば、空さえもいつものように日中は光と(熱)エネルギーを、夜には暗闇と静寂を、与えてくれた。(葬儀当日は雨であった。その“人”とのお別れを悲しんでくれたのかもしれない)
私にとって、お別れの日からは、劇的な時間と空間の変化がおきている。その変化に対応することは本当に辛く厳しいものである。実際にその変化によって引き起こされるエネルギーに耐えきれず、精神的解放[開放]を求め、物理的自己消滅を選択する方もいるくらいだ。正直その方の気持ちは理解できる。人それぞれその程度はさまざまであろうが、大切な人を失うということは、ものすごいエネルギーが発生するのだ。

その“人”は、存命中、私のすべてを支えてくれた。とりわけ教育面に関してはとても理解が深かった。私が今の世界に飛び込んでからは、研究にも大きな関心をよせてくれた。今どのような研究テーマに取り組んでいるのか、今度の研究発表はいつどこでなのか、論文は書いているのか、等々である。
だからこそ、ほんの小さなものでさえ、私の原稿と名前が活字になった書物類はその“人”に必ず見せにいった。そして、その“人”は目を細めて喜んでくれた。
・・・そして、最後には必ず食事はしっかりとっているのかを聞いてきた。優しい心遣いの一端である。

その“人”は、もう視覚的に見えたり、物理的に触れたりすることはできない(と思う)。(もっとも精神的に感じとることは可能であろう、と考えてはいる)それでも、こうした存命中の私への思いや期待にこれからも答えて[応えて]いくことがその“人”への何よりの供養であろうと強く思う。その意味でも、今まで以上に教育研究に力を注いでいきたいと思う。月並みで、平凡な表現ではあるが、必ずやその姿を見守っていてくれるに違いないと思う。

平成23年9月11日(日)は、仏教上その“人”の百か日であった。卒哭忌(そっこくき)と呼ばれ、(一応)この日で故人を亡くした悲しみを哭(な)いて過ごす日々を卒(お)える、という意味がある。現実的に100日で悲しみが癒えることは(人それぞれではあるが)ないであろう。ふと嵐のように悲しみが襲ってくることがまだまだある。1年、2年、いや、何年続くかわからない。自分が現世を離れるその時までかもしれない。それでも、故人は残された人が自分のことを思っていつまでも悲しんでいる姿を見ることを望まないであろうという(文化的)解釈なのであろう。私もその“人”への思いを心の中にしっかりと抱きながら、いまある時間と空間をしっかりと感じていきたいと思う。その“人”もそれを望んでいることであろう。

なお、同日はちょどアメリカ同時多発テロ事件から10年目、東日本大震災から半年であった。これも何かの因果があるのかもしれない・・・。

まだその“人”への思いは書き足りないが、いったんここで筆をおいて、現実の世界を感じようと思う。

2011年5月28日土曜日

Twitter発-新表現(?)


今回の大震災など、緊急時のコミュニケーションメディアとしてtwitterがこれまで以上に注目された。そのtwitterは文字数がかなり制約されたテキストメッセージ中心のメディアである。画像も投稿可能ではあるが、基本テキストによる発信が主であろう。特にユーザーが体験・経験している“今”の事実や事象といったローカル情報の発信に有用に思える。例えば、首都圏における震災直後の電車の運行状況やガソリンスタンドの待ち時間などである。そもそもtwitterとは「(小さな)鳥のさえずり→(人の)つぶやき」という意のtweetに由来するようだ。気軽に見たこと、感じたことをテキスト発信できる、というのがtwitterの特性の1つと言える。

そうした字数の制約があるテキスト中心のメディアでよく見かける表現の1つに「・・・なう」がある。これは場所や動作・行動などを前置要素にとり、「・・・(場所)にいるよ」、「・・・(動作・行動)しているところだよ」といったニュアンスである。おそらく字数対策としての短縮化の工夫であろう。
学生の例をとれば、
「学校なう」→「いま学校だよ」(場所)
「ランチなう」→「ランチを食べているところだよ」(動作・行動)

インターネットの掲示板やブログ等のメディアでもそのサイト特有の表現というものはある。時代の変容とともに、新しいメディアが登場し、それと同調するかのように、新表現がうまれてくる。そして、広くユーザーや社会に認知されていくことがある。たとえ、それが文法的に不適切であったとしても。。

“ことば”の造語力は興味深いものだ。

2011年5月16日月曜日

patience (2)

前回の再投稿で、"Our patience is wearing thin."を「我々も我慢の限界がきている。」という用例があるが、今回の福島原発問題に関する米保守系オンライン紙の"The Christian Science Monitor"では、日本人の特性の1つとして"gaman"(我慢)を取り上げていた。それによると、patienceをもって、persevere, endure((あることに)(痛みや困難に屈せずに)継続してやり抜き)し、overcome(乗り越える、克服する)することがgamanであると、評価しているのが興味深い。

"One noble trait that the Japanese admire is gaman. It is their word for the ability to persevere, endure, and overcome, with patience."
(Christian Science Monitor March 15, 2011)

『スーパー・アンカー英和辞典』(第3版)によると、「忍耐」のとらえ方について、「英語圏の人々も時と場合によっては忍耐やがまんに価値を置くが、日本の「石の上にも三年」とか「ならぬ堪忍、するが堪忍」ということわざが示すような、長期間の忍耐や自虐的とも思えるがまんに価値を置くようなことは一般的ではない。」(p.1179)とある。この点から、「いらいらせず冷静に耐えるという受け身的な面を強調する」を含意するpatience(同p.1179)では、長期化が必至となり、放射能の脅威に立ち向かわなければならない福島原発の現状に対する日本人の姿勢を示す表現として不十分であるのだろう。つまり、日本語文化的な"gaman"は、英語文化的な視点からすると包括的であり、1語ではなく、多様な意味成分で捉える必要があると言える。

【再投稿6】patience



情報と言語(仮)








*備忘録的に書き留めたものである.

2011年5月15日日曜日

vulnerable (2)

前回、vulnerableを再投稿した。そのvulnerableは企業買収に対する弱さを表す語として取り上げた。
今回、先の大震災と原発危機問題に関する海外メディア報道における、vulnerableを含む記事を見てみよう。

"Many coastal communities were ravaged last month, and some have become even more vulnerable to tsunami waves because sea walls were breached and land levels sank."    (Newyork Times April 7, 2011)

これは、津波被害により、多くの沿岸地域において地盤沈下や侵食がすすみ、これまで以上に津波災害の危険性が高まっているという内容のものだ。weakがlittle strengthやlacking powerを含意するのに対し、津波という外的な自然エネルギー(の脅威)に“弱い”という意味付けからvulnerableが用いられているというのがわかる。

2011年5月8日日曜日

クロスメディア

ある事象の意味内容を伝達可能なカタチとしたものとして“情報”があり、テキスト[言語情報]はその1つであろう。テキストは記号のセットであり、それはある規則性によって語や文が成立している。しかしながら、テキストはある事象や実態を捉える分節化された“像”でしかない。そこには、事象や実態を映し出す音、静止画像、映像などはない。実際にある事象や実態を経験しない限り、それらの本質を理解することはきわめて困難である。そこで、できる限り、そうした事象や実態の本質を理解するために、さまざまな形式で情報にアプローチすることになる。その基本的なカタチがテキストであり、その代表的な情報伝達媒体は新聞であろう。時に新聞には静止画像を掲載することで、ある事象や実態の意味内容を効果的に伝達することができる。それでも紙媒体としての新聞では、そこまでである。

近年ITの発展により、多種多種な情報伝達媒体が登場した。その中心はインターネットであろう。インターネットはテキストをもちろんのこと、音声、画像、映像を同時に経験することが可能だ。しばしばマルチメディアと言われるのは、こうした特性からである。ただし、インターネット環境は、利用者がその環境を構築(自宅であれ、外部環境であれ)し、それを活用する必要がある。最近では携帯電話やスマートフォンと呼ばれる多機能携帯電話でもインターネット環境は構築されるが、限定的な一面がある。そうした中で、最近注目されているのが、クロスメディアである。これは、最初はテキスト情報であっても、そこにインターネットや動画情報のアドレスを掲載したり、QRコードを付与したりすることで、次の情報へと発展的に導く仕組みやその方法のことである。ある1つの事象や実態の本質を複数のメディアで横断的に捉えようとするところからcross-mediaと呼ばれているのであろう。特に、クロスメディアは宣伝・広告等で有効と考えられている。これまでもあった付録としてのCDやDVDはクロスメディアの(初期の)1例と言える。

今後twitterやfacebookの普及により、ローカル且つパーソナル情報もクロスメディア化がすすむことであろう。それにともない、世界のあらやる事象がリンクされていくことが推測される。


2011年5月2日月曜日

メディアリテラシー(2)

5月の連休、いわゆるゴールデンウィークに入り、当初の予想に反して、行楽地では例年並みのにぎわいを見せているようだ。もちろん被災地を中心に、東北・関東エリアは連休を楽しむという雰囲気ではないようだが、西日本では海外からの観光客も含め、春の楽しいひとときを過ごしているようだ。

先日のテレビでは、いまだに水(ペットボトル入り)の購入に制限がかかっている地域があり、乳幼児のいる家庭では困っているという内容が放送されていたが、筆者の近隣のスーパーでは、ほとんどは制限なしで購入可能になっており、以前とほぼ同じような供給体制に戻っているように感じる。電池も、水ほどではないが、単1、単2が購入可能になってきている。但し、すべてがMade in Japanという保証はないが・・・

スーパーをまわっていると、1つ気になることがあった。それは、被災地、特に原発近隣エリア産の野菜の山であった。テレビでも取り上げられているが、福島、茨城、栃木、千葉産ものは、売れ残っているようだった。これは“風評”被害の1例であろう。確かに目に見えない放射能汚染を気にする消費者心理は分かる。だからこそ、政府、関連企業の正確、且つ迅速な情報開示が求められていたのだが、現実には消費者心理を煽るような数値の開示であり、それに対する修正、訂正等の情報は不十分なものと言える。

今回巨大地震と津波という1次的な自然災害に加え、情報という2次的、3次的な人的災害が東日本に深刻な影響をもたらしたと思う。今後被災地エリア産の野菜のみならず、海産物、乳製品等の消費の落ち込みが懸念される。それにともない、他エリア産の需要が上がり、供給不足の発生という負の連鎖が起こるであろう。

大災害発生時には、水、食料等のライフラインの確保と同様に、“情報”の入手は重要である。その“情報”の主体は言語である。もちろん、音やシンボルとしての絵や図、記号などからも情報は構成されるが、複雑に多様化した現代社会において、言語の使用なくして合理的で、効率的な行動をとる、すなわち秩序化するための情報を形成するということは困難であろう。そして、言語による情報というものは、我々の思考に直接的に働きかけ、行動を規定するものと言えよう。そこで問題となるのが、そうした(言語)情報の信憑性である。特に災害時には新聞、テレビ、ラジオ等のメディアという情報媒体に依存することになるが、それらが発する(言語)情報がその源となる事象の本質を的確に捉えているかどうかということである。しかしながら、さまざまな事象はメディアのフレーム、具体的に言えば、現場担当記者の目や編集担当の捉え方等、を介して伝達される。実際、フレームの形によって情報の捉え方(ニュアンス)も容易に変容するものだ。おおげさに言えば、ノンフィクションであるニュース情報が、ドラマティックな編集をほどこすことでフィクション的な伝達ということが可能になるであろう。そのような場合、情報の受け手は現実よりも衝撃的な印象を持つ可能性も否定できない。

東日本大震災をうけて、上掲の風評被害の一端は、政府や関連企業というメディアフレームを通じた情報によってもたらされたと言えるが、我々はいかなるメディアフレームであれ、情報の本質をしっかりと読み解く力、真のメディアリテラシー、を積極的に習得していく必要性があるだろう。それは、情報が氾濫する現代社会においては、ライフラインと同様に、健全な社会生活を営む上で不可欠である。

2011年3月16日水曜日

自然の力

まず、はじめに、東北地方太平洋沖地震[東日本大震災]により、尊い命が失われたことに対して、哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈り申し上げます。また、多くの被災された方々にお見舞い申し上げます。

* * * * * * * *
3月11日金曜日、午後2時40分すぎ、都内で被災した。勤務先と自宅のある八王子までの交通機関が遮断された。人生ではじめて“帰宅困難者”となった。あの大きな横揺れは今でも体の中に残っているような感覚だ。発生から数時間は携帯電話や固定電話が通じず、相模原で暮らす母や兄家族の様子が心配であったが、2時間程度で安否が確認でき、ほっとした。その後、九州にいた妻ともなんとか連絡がつき、大丈夫であると伝えた。山形の親戚も無事ということであった。勤務先からも安否確認のメールがあり、無事という報告をした。

交通機関の復旧が絶望的であることはすぐにわかったので、旧甲州街道沿いにひたすら歩いた。同様の考えの方が多くおり、自分のペースで歩くのもままならなかった。多摩川をこえた聖蹟桜ケ丘駅付近で、高尾山口行きの京王線が動いているのが見え、駅にむかった。すぐに電車が来たので乗り込んだ。正直安堵した。4時間程度は歩いただろうか。。

午後11半ごろに勤務先と研究室の状況を確認しに行くと、“帰宅困難者”となった教職員と学生が会議室等で寝泊まりしていた。研究室のある棟は改修工事があったばかりで問題はなく、研究室の書棚も耐震用に固定していた。ただ、机の上などにあるプリント・書籍類は床に散乱していた。

それらを片付けてから帰宅した。自宅も落下物などないようであった。

さっとシャワーを浴びてから、眠りにつこうとしたが、なかなか寝つけなかった。

やはり、今回と同レベルの地震が東京神奈川を含む想定震源域を直撃する、いわゆる“東海地震”が発生した場合を考えてしまう。あくまでも個人的な体感ではあるが、地震対策などというものは、(もちろん大切ではあるが・・)あのような自然の力を前にしては、ほとんど意味をなさないような気がした。地震の“力”というものは人知を超えたものと言わざるをえない。

昨晩も静岡東部で震度6強の地震があった。福島原子力発電所の正常化も見通しが明るくない。

“情報”は錯綜し、“無”計画停電、交通機関の混乱、買占め、ガソリン不足・・・“社会”の機能は著しく不安定になってきているようだ。


・・・ここ数日は落ち着いて考え、書くという気にはなれない。それでもあと数時間後には、太陽が昇ってくる。

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