2009年12月9日水曜日

fountain pen


しばらくぶりの投稿である。
ここ数週間バタバタしており、気ままな“言語活動”をする時間がなかったからだ。
幸い落ち着いたので、書きとめておきたいと思う。

先日特別な方から万年筆をいただいた。それはとてもすばらしいもので、単なる書くという文明的な道具なだけではなく、私の執筆活動の潤滑油となる精神的な支えとも言えるものだ。もっとも、実際の執筆活動はパソコンによるキーボート入力ではあるが・・・

最近の万年筆はこれほどまで書きやすいものかと、驚いている。私が数十年前、はじめてアメリカに渡り、亡き父へのお土産に購入した万年筆を、いま使っている。それはそれで、なかなかの書き味ではあるが、この最新のものと比較すると、滑らかさという点では、時代遅れな感は否めない。もちろん、その時代遅れな感じもひとつの“書き味”なのかもしれないが。。

この万年筆は氷上のスケーターのような書き味である。(決して誇張ではない)幸か不幸か、私は左利きである。万年筆を用いる場合、丁寧に書いていかないと、かさついた乱暴な字体に写ってしまう。こうした点は時に字体に繊細さを生みだす要因になってくれるのだが、やはり時間がかかってしまう。

この万年筆のおかけで、丁寧かつストレスのない筆記をすることができるようになった。

これもこの万年筆を贈ってくださった方の気持ちがこめられているからであろう。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

ところで、万年筆はfountain penという。つまり、fountain「泉」のようにinkが湧き出てくるという含みがあるのだろう。これはかつての羽根をもちいた都度使用のpenと比較してのことと思われる。

なお、日本語の「万年筆」はいくつかの説があり、上記のinkが湧き出るという含みを「万年」とした説や、当時文具を扱っていた丸善の担当者の名前と関連づけているという説などがある。

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