2009年12月9日水曜日

purify or just clean?




茶の湯の世界に入って、それなりの時間が経つ。日々教育研究とその他煩雑な作業に追われていると、時に現実を見失いそうになるときがある。




そうした時、茶の湯の世界は私の心と体をまさに浄化してくれる。いつもお稽古のあとはすがすがしく、さわやかな気持ちでいっぱいだ。




茶の湯の世界では、しばしば「清める」という表現を使う。茶碗を清める、茶灼を清める、建水を清める。また、四方さばきで袱紗をさばくということは、東西南北を清めるという意味もある。




単に汚れやほこりをとるということであれば、「洗う」や「拭く」などの表現でよいであろう。そこをあえて「清める」というところに、茶の湯の世界における精神誠意、客人をもてなすという心づかいや道具を大切にしようとする姿勢が表されているように感じる。さらに、ケガレを取り払うという日本古来の神仏信仰の一端も投影されているようだ。




この「清める」は、英語ではpurifyが近いように思う。cleanはそれこそ単に「洗う」や「きれいにする」という意味であろう。物理的な汚れだけではなく、精神的な汚れ(ケガレ)などもきれいさっぱりするという含みであれば、やはりpurifyが日本の伝統文化である茶の湯のこころを映し出しているように思う。




ただ、こうした日本文化の深層を瞬時に理解することは決して容易なことではない。茶の湯の世界を英語で説明する場合、必要に応じて平易明快なcleanを用いてもよいであろう。




Happy Holidays


先日アメリカ留学時代にお世話になった大学から、alumni(卒業生)あての"Happy Holidays"のオンラインカードが届いた。

IT技術の発達により、カードも動きや音声のあるものになっている。

アメリカでは、この時期になるとChristmasとNew Year'sを兼ねたHappy Holidaysカードを贈る習慣がある。もちろん、それぞれ別々に送る方もおられるようだが、こちらの方が一般的のような印象をもっている。

そもそもアメリカの"Holiday Season"とは、どのあたりをさすのだろうか。通例毎年11月の第4木曜日(カナダは10月の第2月曜日)におこなわれるThanksgiving(感謝祭)の翌日に、これはあくまでも慣例的になっているだけなのだが、ほとんどの家族が近くのshopping mallなどに、Christmas gift用の買い物にでかけるのだ。その熱気から"Christmas shopping spree"(spreeとは「浮かれ騒ぐ」という意)とまで言われるくらいである。実際、デパートなどの販売では、Thanksgivingの翌日が1年で最も忙しい日である。


そのころから新年にかけて、街はさまざまな飾り付けや、ライトアップなどで、美しくも、かわいらしくもある景色となるのだ。アメリカでは、Christmasが最も重要な祝日という位置づけである。日本的な正月[元旦]とは違い、New Year's dayは案外あっさりとしたものである。


こうした点から、"Holiday Season"とは、Thanksgivingから、Christmasを中心として、New Year's dayまでといったところであろう。


やっぱし(?)

先日事業仕分け関連のニュースを見ていると、コメンテータらしき人物が「やっぱし・・・」を多用していたのが気になった。特に「やっぱ“し”」である。日本語的には、「やはり」→「やっぱり」→「やっぱし」らしく、方言として分類されているようだ。ただ、公共性の高いテレビ番組での表現としては視聴者としてはあまり心地よいものではなかった。

会議などの席でも「やっぱし」を“連呼”する者がいるが、どうも稚拙な響きを感じる。最近の若者の言葉遣いを懸念する声がよく聞かれるが、大人もTPOにあった言葉遣いを心掛けたいものだ。

ちなみに、「依然として、それでも」の意であれば、stillが、「結局のところ」の意であれば、after allなどが「やはり」の英語表現となるであろう。「やはり」には場面に応じていくつかの英語表現があるので、工夫したい。

fountain pen


しばらくぶりの投稿である。
ここ数週間バタバタしており、気ままな“言語活動”をする時間がなかったからだ。
幸い落ち着いたので、書きとめておきたいと思う。

先日特別な方から万年筆をいただいた。それはとてもすばらしいもので、単なる書くという文明的な道具なだけではなく、私の執筆活動の潤滑油となる精神的な支えとも言えるものだ。もっとも、実際の執筆活動はパソコンによるキーボート入力ではあるが・・・

最近の万年筆はこれほどまで書きやすいものかと、驚いている。私が数十年前、はじめてアメリカに渡り、亡き父へのお土産に購入した万年筆を、いま使っている。それはそれで、なかなかの書き味ではあるが、この最新のものと比較すると、滑らかさという点では、時代遅れな感は否めない。もちろん、その時代遅れな感じもひとつの“書き味”なのかもしれないが。。

この万年筆は氷上のスケーターのような書き味である。(決して誇張ではない)幸か不幸か、私は左利きである。万年筆を用いる場合、丁寧に書いていかないと、かさついた乱暴な字体に写ってしまう。こうした点は時に字体に繊細さを生みだす要因になってくれるのだが、やはり時間がかかってしまう。

この万年筆のおかけで、丁寧かつストレスのない筆記をすることができるようになった。

これもこの万年筆を贈ってくださった方の気持ちがこめられているからであろう。本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

ところで、万年筆はfountain penという。つまり、fountain「泉」のようにinkが湧き出てくるという含みがあるのだろう。これはかつての羽根をもちいた都度使用のpenと比較してのことと思われる。

なお、日本語の「万年筆」はいくつかの説があり、上記のinkが湧き出るという含みを「万年」とした説や、当時文具を扱っていた丸善の担当者の名前と関連づけているという説などがある。

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