2014年3月6日木曜日

茶の湯のことば―旅箪笥



■旅箪笥・・・おそらく日常生活でこの言葉を耳にすることは少ないであろう。これは、茶道具の1つで、「・・小田原の役に従軍の際、旅持ちの茶箪笥として創案されたとする」とある。(『茶道大辞典』、淡交会刊、2010年、p.726.)炉、風炉用の(簡易)棚の一種であるが、これを用いた点前稽古は、なぜか年1回するか、しないかというものである。それにしても、緊迫する戦場でも茶を所望できるよう、こうした茶道具を準備させておくとは、豊臣秀吉と千利休の泰然自若な姿が目に浮かぶ。■

※「泰然自若」とは、「落ち着き払っていて物に少しも動じないさま」という意。(『岩波国語辞典第七版新版』、岩波書店刊、2011年、p.882.)





2014年3月2日日曜日

日英言語文化小論(26)【尾頭付とwhole fish】



■前回魚の向きを取り上げたが、それは頭と尾がその向きの対象として存在するからである。日本の食文化的には何ら違和感はないが、非日本文化圏から見れば、必ずしもそうとは限らない。まず、日本では、魚に頭と尾が付いていると、なぜうれしい、(俗っぽい感覚ではあるが)得した気分になるのであろうか。それは、尾頭付の魚は歴史的に慶事の際に目にすることが多いからであろう。諸説あるようだが、神事における神饌(御供え物)の1つに(海・川の幸の象徴としての)魚があり、手を加えていない頭と尾を付けたまま供えた、ということが考えられる。(この点は、古来において生娘を人身供物[生贄]として神に捧げたという伝承にも通じるものがある)また、中国では、良い1年の始まりから終わりまでを意味して頭と尾が一体となった魚を食すのが春節(中国の旧正月に相当)の定番となっている。さらに、太極図として知られる図柄は、中国では陰陽魚と呼び、太陽の中に魚に見立てた陰と陽を表していると考えられている。この場合、尾から頭にむかって気が盛んになる様を表しているそうだ。つまり、尾と頭の付いた魚の一体が重要なのだ。このような尾と頭に、(平安な森羅万象の)始めや終わり、陰と陽、気の広がりなどを意味付けした中国からの慣習による影響も少なからずあったものと考えられる。その他、尾頭付きの魚と言えば、鯛が代表的と言えるが、必ずしも鯛である必要はなく、身が立派で、祝いの色とされる赤身の姿、語呂による「めでたい」等の理由により、高級魚であった鯛が、淡水魚の鯉と同様に、特別な魚として扱われ、その尾頭付きが最も祝いの席にふさわしい魚になったものと考えられる。商売繁盛の神として有名な七福神の恵比寿様も、その左手に(尾頭付の)鯛を抱えており、大漁の象徴となっている。なお、縄文時代の貝塚からもアサリ等の貝類のほかに、鯵や真鯛の骨が出土しており、古来から鯛が食されてきていることが分かっている。このように、日本では、八百万の神々への神饌であったという歴史や大陸の食文化の影響という点から、(手の付けられていない)尾頭付きの魚(特に鯛)が特別な、縁起の良いものとなっていると判断して良いであろう。
 一方英語文化圏、特にアメリカでは、尾頭付きに相当する魚はwhole fishと呼ばれる。また、内臓を取り出し*、ウロコを落とした**だけで、尾頭ヒレ付の下処理済はdressed fishという。それに尾頭ヒレを落としたいわゆる切り身に相当するものがpan-dressedとなる。これは(アメリカでは)焼き魚を調理する際に用いるskillet pan用に下処理された、という意味であろう。 骨まで取り除き、買ってすぐに調理できる状態のもの[切り身]はfilletとなる。これは余談であるが、英語で尾頭の意のhead and/or tailには、コイントスなどの表と裏、天地などの意味があり、魚の向きに関しても左右よりも、上下に何らかの意味づけがあるかもしれない。例えば、日本で魚を釣り上げた場合、両手で頭と尾を横にして記念写真を撮ることが多いが、アメリカでは、エラのところに手を引っかけて片手で頭を上に持ちながらとるポーズをよく見かける。(これは魚の種類や大きさが関係しているか・・)このあたり、今後の調査対象としたい。■

*内臓を取り出すは、guttedと言う。gut(s)は内臓。
**ウロコを落とすは、scaledと言う。scaleはウロコ。


魚の向き



■筆者が尊敬する方が公開するブログ上で魚の向きについて触れておられた。前回焼き物を含む懐石を取り上げたこともあり、筆者も気になった。確かに魚の向きは(当たり前のように)頭が左であるという感覚をもっている。茶懐石の焼き物であれば、魚の切り身であることが多いため、その根拠を見出すことは難しいが、現代のぜいたくな懐石[会席]料理であれば、(焼き物であれ、お造りであれ)尾頭付のものが出されることが多い。その場合、通例頭が左向きだ。筆者の意見としては、これには日本の「右利き文化」が影響しているものと考える。まず、料理人が魚を捌く際、包丁(通例右利き用)を右に持ち、左手で(可食部の少ない)頭を押さえるであろう。頭を落とす場合であっても、胸ビレの下あたりから包丁を挿しこみ力を入れて切り落とすため、右手であれば内側に力が入れやすいように左斜め下(頭の方)に向かって包丁を入れるのが自然だ。もし頭が右であれば、(主たる可食部である)腹や背を押さえ、右斜め下、つまり外側に包丁を(手首を内側に少しひねりながら)落とすことになるので、力が入りにくい。また、下処理としてウロコをとる作業もあるが、ウロコの付き方と逆にこすり落とすのにも内側(右利きであれば左の方へ)に包丁をこすっていく方が自然であろう。インターネット上で魚の捌き方を紹介する動画もあるが、大半が頭を左にしている。次に、右利き中心の筆文化を基本とする日本語圏では、右から左へ(上から下へ)と書きすすめる。その際、魚の絵を描く場合、気持ち的にも同じ方向に泳いでいく様が自然であろう。また、筆による筆記の場合、特に横線であれば(漢字の書き順と同様に)左から右に引くように書くのが自然で無理がない。一般に魚を描く場合の始点となる(であろう)口先から魚の線を描くのであれば、頭側が左にくることになる。(尾から頭にむかって筆を引いたり、尾を左にして、尾を始点にしたりすることは考えにくいと言える)江戸時代の絵師・歌川広重の錦絵でも、頭が左(やや斜め下)向きである。(こちら)実際、こうした影響を受けてか、釣り愛好家が釣り上げた魚を魚拓として残しておく場合も基本左向きである。最後に懐石料理とも関連するが、焼き魚を食べる際、可食部が大きく、旨みがあるのは頭寄りであり、右利き中心の箸の食文化が根付く日本では、左手で頭を押さえながら右手の箸で食すのが都合がよい。当然その場合も頭が左側にある方がよい。また、作法として魚を裏返しにすることはしないので、表側を食べ終わると、中骨を折り、尾に向かって骨をとり、身の上[奥]側に骨を置く。この場合も(空いている)左手で押さえるのに頭が左にあるほうが都合よい。
 このように、大雑把ではあるが、料理人が捌きやすい、客が食べやすい、絵師が描きやすい、等々の理由により、日本文化的には、魚の向きは「かしら左」が最も自然である、と言ってよいであろう。確かに焼き魚の頭が右で出されたのであれば、筆者もかなりの違和感を覚えるであろう。昨年、「和食」が世界無形文化遺産に登録された。また、2020年夏季五輪の開催地として東京が選出された。否応なしに日本への世界的注目は集まっている。今回取り上げた魚の向きや尾頭付の魚がなぜ特別で、慶事的意味合いがあるのか、こうした日本人として何気ないことにも意識をもって日々の営みを大切にしていきたいものである。■



茶の湯のことば―一汁三菜



■前回、茶の湯の基本は茶事であり、初座(前半部)で懐石料理をいただく。その懐石は、かつては数種類の膳が出される本膳料理や、その後の茶懐石料理に影響を与えた精進料理をともなうことがあったようだが、(村田)珠光、武野紹鴎、千利休へとつながる草庵茶、侘び茶への流れの中で、一汁三菜を中心とする茶懐石が確立されていった。
 現在裏千家では、最初の膳として、折敷の手前左に(ゆるめに炊いた)飯、その右に汁物を、その向こう側に生魚等の造り()の小鉢(「向付」)を三角形になるように置く。その後出される、煮物椀(欧米料理のメインディッシュに相当)と焼き物(魚介類が多く、客人数分を盛り合わせる)を合わせて一汁三菜と呼ぶ。続けて、箸先を清める意味の吸い物(「箸洗」)、酒の肴を二種程度を八寸サイズの盆に盛り付けた八寸、香の物(漬物)が出され、飯釜のコゲを湯漬けした湯桶で最後となる。なお、最初の膳を出し、亭主は客に酒を一献(一杯)すすめ、箸洗のあとに八寸を出し、さらに酒をすすめるということからも、(茶)懐石と酒の結びつきは強いようだ。現在でも用いられている献立(メニュー)とは、一献(酒を一杯すすめる)を立てる(仕込む、作り上げる)ものということである。つまり、酒をすすめるための肴類ということになろう。そこから、(酒の肴を含む)料理全般の一覧を指すようになったと考えられる。■

2014年3月1日土曜日

茶の湯のことば―茶事



■茶の湯の基本は茶事と呼ばれる、前半に懐石(食事)、中立ち(休憩)を挟み、後半に濃茶、薄茶(喫茶)をいただくことであり、これらを通じて時を楽しむものである。茶事は、「正午の茶事」が一般的且つ正式なものであり、いわゆる昼食をともなうものである。その他、暑い夏に早朝の涼を感じながら催される「朝茶事」、冬の夜長を楽しむ「夜咄・夜会」、前夜からの残りの灯りの風情を楽しむ「暁の茶事」、茶の湯世界の正月とされる11月の炉開きのころ、新茶の壺の封を切る「口切りの茶事」、椅子と点茶盤(点前用)、喫架(客用机)等を用いた「立礼茶事」などがある。
 こうした正式な茶事は通例数時間かかるため、現代社会では、それを催すのは容易ではなくなってきており、懐石を省略し、喫茶のみに簡略化した茶会が一般的となっている。また、茶道教室における日々の稽古においても、そうした事情に合わせるかのように、喫茶の部分が中心となってしまっているが、本来は炭の扱いから、懐石についての知識や所作も稽古する必要があるのだ。■


ことばと文化の一筆箋(18)カカオの効能










ことばと文化の一筆箋(17)頭痛とheadache






※一般に、頭痛はheadacheであるが、いわゆる偏[片]頭痛であれば、migraine、(筋)緊張型頭痛であれば、tension (-type) headacheが相当するであろう。その際、nausea「吐き気、むかつき」やvomiting「嘔吐」を伴うことがある。筆者の場合、"I have [suffer from] migraine(s) with nausea."ということになろう。


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